勝新太郎、映画『座頭市』シリーズ(1962-1989年)

このクッソ暑い中、なぜか雷に打たれたように始まった勝新太郎座頭市祭り。とりあえず映画シリーズの26本を製作順に観てみたら、これが滅法面白くてねぇ。すっかり勝新ラブですわ。功夫バカは必須科目っすよ!

本当はもう何年も前からジミーさんとの『新座頭市 破れ!唐人剣』を観よう観ようと思っていたのだけど、なんとなくそのままになっておりました。

ジミーさんと勝新だよ、アジアのスーパースター同士だし、きっとこれ1本だけでは座頭市を観たとはいえないんだろうなぁと考えて、とりあえず第1作目からボチボチ取りかかるかと始めたら、めっっっっちゃ面白くて、めでたく先日1989年版座頭市まで完走。

26本もあると、デキに濃淡はあるにせよ、驚いたのは最後まで熱量と品質が一定以上保たれ続けたこと。しかも主役は座頭市、ただひとり。このクオリティを維持したまま20本以上も作られた映画シリーズって他にあるのかな。それだけで信じられない気持で一杯です。

勝新さんのことについては、彼の人となり映画人としての才能、座頭市に辿りつくまでの変遷などはたくさんの本やインタビュー記事ブログなどがあるのでそれらを読んでいただくとして、座頭市しか観てない私が感じたところでは、勝新太郎というお人が、スーパースター、俳優の前に映画人だったのだということを再認識したのと、同時に音楽家(19歳ですでに長唄と三味線の師匠であった)だったという点が大きかったのかと。監督としての才能もさることながら、座頭市を支えたあの殺陣の核は彼が優れた音楽家であったということも影響している気がします。アクションはリズムと緩急と間、そして芝居だけじゃない、あの独特の殺陣はスタントマンや俳優とのセッションだ!

26本もある座頭市シリーズですが、それは映画だけのこと。実は映画シリーズがひと段落した1976年からフジテレビで『座頭市物語』続けて『新・座頭市』として合計4シーズン、全100話のテレビドラマもあります。さすがにTVシリーズは現時点では評判のいいものを十数話しか観ておりませんけど、ゲストも豪華だし、製作は勝プロで、映画と同じ監督や(もちろん勝新太郎監督作もあり)スタッフも参加しており、テレビだからと極端にクオリティが落ちているとは思えませんでした。

そこで、ここでは気に入った映画シリーズの中から数本をレビューしてみようと。
まずは、私の好きな勝新座頭市映画TOP8をば(1位以外順不同)。

ブッチ切りで一番好きなのは、
・12作目・『座頭市地獄旅』(1965年)監督:三隅研次
あとは甲乙つけがたいので、製作順に
・1作目・『座頭市物語』(1962年)監督:三隅研次
・4作目・『座頭市兇状旅』(1963年)監督:田中徳三
・8作目・『座頭市血笑旅』(1964年)監督:三隅研次
・15作目・『座頭市鉄火旅』(1967年)監督:安田公義
・17作目・『座頭市血煙り街道』(1967年)監督:三隅研次
・21作目・『座頭市あばれ火祭り』(1970年)監督:三隅研次
・24作目・『新座頭市物語 折れた杖』(1972年)監督:勝新太郎

書き出して気がつきましたが、ほとんど三隅研次監督やん(汗)。

うーむ、分り易いというかなんというか。そういえば過去、市川雷蔵にハマってかなり根を詰めて観まくったいわゆるプログラムピクチャーとしての大映チャンバラ映画も三隅研次監督作が印象に残ったような。素人にもわかりやすい面白さ、なのか、職人としてすごいのか。

その辺りのことはまだ分りませんが、とりあえず私が三隅研次を好きな事はわかった。今はまだチャンバラものしか観てないんだけど、三隅監督といえば女性映画も多く手掛けており、非常に評価の高い作品もあるのでいずれ機会があれば観てみたいと思っております。

では、ボチボチと、このTOP8をレビューして参りましょう。8作全部出来るかな?

とりあえず
座頭市地獄旅(1965年・日本)前編
座頭市地獄旅(1965年・日本)後編

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母なる証明(마더 2009年、韓国)

『オクジャ』を観た後、すぐに思い出して観直したくなった『母なる証明』。再度観てもやはり傑作。今のところ、自分はポン・ジュノ監督作でこの映画が一番好き。ネタバレ

まずオープニングのキム・ヘジャのダンスからして訳が分らない。ススキ野原で中年の女が踊る。その動きは決して上手いとはいえず不気味ですらあります。なのに目も反らせず釘づけになったまま。

母は成人した発達障害の息子を溺愛している。壁に向かって立ちションする息子とおちんちんを横から見ながら薬湯を飲ませる彼女の後ろ姿のロングショット。息子が去った後に、おしっこを足で馴らし壁にゴミを立てかけ繕おうとする母親に、この映画に魅入られるのが運命づけられたような衝撃が走ります。

韓流ドラマは観たことがないので、本作でキム・ヘジャという女優を初めて知りました。演技の凄まじさに最初から最後まで圧倒されて終わった気もします。むこうでは「国民的母親」と呼ばれているそうですが、むしろそのイメージが想像できないほどこのキム・ヘジャは生々しい母親であり女でありました。

ポン・ジュノ監督によるサスペンスの形を借りた人間ドラマは一級品です。それは彼の名を知らしめた『殺人の追憶』で分ります。観る者を飽きさせずグイグイと作品の世界に引き込んだかと思うと、時には掴んだ力をふっと緩ませるタイミングも絶妙。雑にストーリーを説明させるためだけの主な人物が登場しないのもいいし、どころかどのキャラも個性が際立っている。

ものがたりを転がす原動力になる事件は多くのものを主人公から奪い去ってゆきます。それはずっと続くと思っていた日常、愛する人や信じて来た正義、時には主人公の価値観までも。抗うほど多くは徒労に終わり、世の不条理にどう向き合うか矛盾に満ちた心理をあぶり出してゆくのです。

この映画では、息子を取り戻すために不正義と大きな犠牲を生むことになります。しかもそれをより弱い者に強いることになる。

彼女は母。息子がいなくなれば母ではなくなる。母でいることだけがこの世に残された彼女の存在理由です。その狂気じみた信念は最後のバスでのダンスで結実する。『殺人の追憶』のソン・ガンホのように転職することで、幕を引くことも許されない。なぜなら彼女は死ぬまで母親だから。

母なる証明 予告

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チョコレートドーナツ(Any Day Now 2012年・米)

この記事はチョコレートドーナツのレビューではありますが、なぜかおまけ部分にドニー・イェンファンの妄想が入ってることをあらかじめお断りしておきます、注意!

チョコレートドーナッツを観ました。実話をモデルにした映画。

ルディ役のアラン・カミングは若いころのエリック・アイドルに似ている。絶対どこかで観てるよなぁと調べたら『タイタス』のゲスいサトゥルニヌスだ。その時もエリックに似てると思ったことまで蘇りました。映画やドラマで活躍しておりますが舞台ではトニー賞も獲ったことがあるという演技派です。

この作品の舞台は1979年。アメリカ・カルフォルニアですら同性愛者は激しい偏見と差別に晒され、それが原因で仕事を解雇されても訴えることができず、ましてどんなに子供を愛していても養育することを司法によって拒絶された時代。

1979年といえば、私はすでに16歳です。化粧してきらびやかな衣装を纏い歌ったグラムロックなんてとうの昔からあり、当時のポップスターがバイセクシャルであっても別に驚きもしませんでした。

同人誌や二次創作なんて何ひとつ知らなかったけれど、同じ高校のカヨちゃんと「ぐるぐるまんが」のノートをやりとりしていて、私ですらそこではDボウイとかフレディ・マーキュリーやジュリーに学校の女子の制服着せてたぞ?

16歳の私にこの映画を見せたら、そんな文化と制度の乖離の大きさや根強い差別の存在にショックで寝込んでしまったかもしれません。かといって、それから30年近くたっても偏見や制度が解消されたかと言えば今も苦しむ人はなくならず、世界中では今なお同性愛者であることを犯罪とみなす国も多くあります。

その頃の自分は30年後には、性別に関係なく結婚ができ子供ももてるようになるのだと楽観的に想像していました。当時はLGBTという概念もなかったけど、これほど社会通念が強固でしかもそれに父権性と宗教政治が大きく関与しているとは知る由もなかった。

今年4月、大阪で男性カップルが養育里親に認定されたというニュースが話題になりました。そして5月には台湾の司法最高機関が「同性同士での結婚を認めない民法は憲法に反する」という判断を下しています。この判決はアジア初の同性婚認可に繋がる一歩になりました。

このニュースを非常に喜ばしい事と受け取るとともに、ここにたどり着くまでにどれだけの名もなきルディとポールやマルコがいたかと思いを馳せます。道のりはまだまだ半ばにすぎないし、国によって状況も大きく異なります。しかし、彼等の様に自由に生きるために声を上げてきた人達がいるからこそ、この道は続いてきたのだと。

そしてこれは、様々な困難のなか居場所をみつけられなかった3人がひととき、本当に心から安心でき愛のあふれた場所を見つけたことを大事に思える物語です。そこには性別も病気も関係ない。これは私たちみんなの物語でもあります。人からその場所を奪う事がどれほど残酷か。

ラストでルディの歌うI Shall Be Releasedには胸が締め付けられました。

私がこの曲を初めて聴いたのは、本家ボブ・ディランでもザ・バンドでもなくルディが憧れていると話したまさにベッド・ミドラーヴァージョン。彼女の2枚目のアルバム、Bette Midler(1073年)に収録されており兄がレコードをダビングしてくれました。このアルバムをどんだけ聴き倒したことでしょう。

アランのI Shall Be Releasedは、この歌を初めて聴いた時の衝撃が蘇ったように震えました。
I Shall Be Released – 映画「チョコレート・ドーナツ」より 【日本語字幕】
この映画を見終わってすぐにベッド・ミドラーのライブ動画を観たら号泣してしまったのことよ。
I Shall Be Released – Bette Midler – Divine Madness

チョコレートドーナツ予告

I Shall Be Released – Bette Midler(アルバムヴァージョン)

さて、ここから、全く違う話になって申し訳ありません。最初から謝っておきます。ドニー・イェンファン以外は読まないほうがいいです。妄想注意!

この映画でルディを見た瞬間、私はこの役をドニー・イェンにやってもらいたいと思いました。アラン・カミングとドニーさんの共通点なんか笑うと歯茎が出るというくらいしかないにも関わらず。いや、ドラッグクィーンのドニーさん似合うだろうなと閃いたのも当然ある。時々目にする「この配役を別の俳優にやらせたら・・・」という想像を、今の今までしたことがなかった私です。正直びっくり。

男くさい俳優がどちらかというと苦手なのに、それでもバリッバリの武打星であるドニーさんが好きなのは、着痩せするところや首が細く小柄で、演じる役にミソジニーをほとんど感じさせない部分、そしてなにより本人のキャラが大きいのでしょう。

たとえパンイチを見せても雄としての威圧感で迫ってこない不思議さは、「どう?かっこいいでしょ」というベクトルが、相対的なセックスアピールで向かってくるというより「誉めて誉めてほーめーてー」という子供の承認欲求に近いものを感じるからかもしれません。

ええーと、監督はピーター・チャンでお願いします。ポール役はコリン・チョウで。導火線のラストファイトを形を変えて再び(笑)。背も高いし、「絵にかいたような美男」すぎない感じがいいのではないでしょうか。彼がビジネススーツで法廷に立つ姿はきっとホレボレするにちがいない。あ、ジャッキー・チュン(張学友)もありっす。

映画を観ながら、マルコに対する慈愛に満ちたドニーさんの笑顔が目に浮かぶようでした。すみません、ほんまにただの妄想です、だから笑って流して。

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オクジャ/okja(옥자 2017年、韓・米)

この世の矛盾や不正義とそれに対する人の在り方をエンタメとして描いたらピカイチ、ポン・ジュノの最新作。家族であり母でもある少女はその子を一心に取り戻そうとし、一方でその子を作りだし殺そうとするのは家族によって囚われた女。ネタバレ。

ポン・ジュノらしい作品であったという安堵感がまず先にきた。それが何に起因するのか。Netflixという過去にない新興製作メソッドのお陰ならば「おおおお、色んな監督でもっとやっちゃって!」という気分になりました。

本作も世界の飢餓問題と食物の遺伝子操作、食肉業界の裏側、トップ企業のとる印象操作と警察政治との癒着、それを阻止せんとする過激派動物保護団体などに対するシニカルなまなざしが風刺という形をとって彩られている。そして今まで以上に潤沢な資金とVFXによって、アドベンチャーアクションとしてのクォリティがすこぶる高い作品となりました。すごい。

しかし、その派手な包装紙のなかに秘められたものは、オクジャの家族であり母親でもあるミジャが「我が子」を取り戻す執念の一点に絞られており、そういう意味では監督の『グエムル』と『母なる証明』から続く物語です。

主演女優のミジャ役の アン・ソヒョンが本当にいい。あの面構えね。パッと見可愛くなくてストーリー上仕方ないけど、ほとんどふくれっ面なのが好き。韓国の俳優さんは演技が飛びぬけて上手いのは勿論ですが、子役も次から次に上手い人がいるなぁ。

ティルダ・スウィントンは『スノーピアサー』に勝るとも劣らない怪演。「家族」という血に囚われたままの者として描かれるのもミジャの対比として面白い存在で、この役をただの男性経営者にしなかったのが大きいと思います。しかも彼女の経営するコングロマリットは、ドキュメンタリー『モンサントの不自然な食べもの』で告発されたモンサント社を彷彿とさせ、ぶっ飛んだ演技のジェイク・ジレンホールは、どうしたってスティーブ「クロコダイルハンター」アーウィンを思い起こさせます。

ALFという過激派動物保護団体もね、笑うしかない。トマトひとつ口に入れる入れないという際に語られる講釈やオクジャの足の裏に刺さった破片を抜くリーダーの恍惚とした表情、そして”Translations are Sacred(翻訳は尊い)”と彫られたばかりのタトゥーを誇らしげに見せるメンバー。40年の歴史は??結果、寸を曲げて尺を伸ぶ。

皮肉たっぷりなユーモアと、ぞわぞわと神経を逆なでする肉体的だけでない残虐性は健在ながら、優秀なVFXと派手なアクションでこれほどのエンタメ大作に仕上げてきたことには喝采を送りたい。ポン・ジュノやはりすごい。

ここまで風呂敷を広げて「一体どんな結末にするんだ」とワクワクしながら待っていたら、すんでのところでミジャはミランド社のCEOからオクジャを買い取り他のスーパーピッグに後ろ髪を引かれながらもオクジャとチビピッグを連れてその場を去ろうとします。

振り返ると屠殺を待つしかない何千頭というピッグが彼等を見送りながら絶望の声を上げる。その姿にミジャが流す一筋の涙。それは『母なる証明』で真犯人として逮捕された被疑者に「あなた両親はいるの?お母さんはいないの」と尋ねた母親の涙と同じに思えました。

何かを守るという行為は、ともすればより弱いものを犠牲にする矛盾を孕むことがある世界の構造、それに薄々気づきつつとってしまう行為もまた人間の在り方の一部なのだと、ラストの美しくも淡々とした日常が伝えていた気がします。

そして何より、この観賞後の居心地の悪さがポン・ジュノ印ではないでしょうか。

『オクジャ/okja』予告編

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点対点(點對點 : 2014年、香港)

2015年の大阪アジアン映画祭で上映された香港インディーズ作品。淡々と映し出される香港の素の街角。香港フリークにはたまらない、やさしい秀作。

2014年香港に行った際公開していた作品で、その時は観れなかったけど一風変わったタイトルが印象に残っていました。その翌年大阪アジアン映画祭で上映、監督キャストも来日したようです。日本ではDVDスルーにもならないんだろうなと諦めていたらNetflixが配信しておりました。やった。

この映画のユニークなのは、香港がしっかり舞台なのに主人公が2人とも香港人ではないところ。小学生でカナダに移住し香港で就職した男と、大陸の吉林から語学学校の普通話教師として香港にやってきた女。この男女の立ち位置や佇まいが、地下鉄の駅付近に残された点の落書きと、ただ1人気がついた女性が謎解きをするというファンタジックな展開を、微笑ましく見せてくれたのかもしれません。

「いつまで70年代を引きずってるんだ」という台詞が示す通り、男はかつて自分のいた時代を思う。そして女はその時代を新たに知ることで落書きされた点の謎を解いてゆく。現在の香港をトレースしたかのように様々な形で過去の香港がスクリーンという薄紙に浮かんできます。

訪れた回数の割に、私自身はそれほどあちこち歩き回ってるわけでもない。食事も行き当たりばったりだし香港通にはほど遠いと思います。それでもここに登場する香港はとても素に近い気がしました。香港通の人やかつて香港通だった人なら胸がいっぱいになるだろうこの映画、ラストシーンと顏培珊が歌うエンドクレジットソングが優しい余韻を残す秀作です。

最後に
一箇所日本語字幕が「セシリア・チャンの歌う張柏芝」という不思議な翻訳になってましたが、あれはセシリア・チャンの歌う“不一様的我”の間違いですよね?

監督
アモス・ウィー(黃浩然)
出演
チャン・ホウ(陳豪)、モン・ティンイー(蒙亭宜)
スーザン・ショウ(邵音音)、ラム・ジーチョン(林子聰)
キャンディ・チャン(張雪芹)、デビッド・シュー(邵仲衡)

《點對點》第一封預告 “Dot 2 Dot” First Teaser

《點點對點》:電影《點對點》主題曲
電影《點對點》(Dot 2 Dot)歌曲《香港慢遊》 MV
顏培珊 Shandy – 早班火車 (自導自演日本旅行版) Official

張柏芝 / 不一様的我

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レイトオータム(2010年、韓国・香港・米)

『捜査官X』で素晴らしい女優だと感心したのが最初の出会い。その後観れば観るほど好きになるタン・ウェイ主演という事で楽しみにしてたのに公開時は見逃してしまった映画。ネトフリに入ってたのでやっと観賞。

ストーリーとしては別段ひねった所もないと思ったら、実は1966年公開の有名韓国映画のリメイクで、斎藤耕一監督、岸恵子、萩原健一主演の邦画『約束』(1972)もその映画をもとにしているといいます。ショーケンの俳優デビュー作のこちらも観てみたけど、それはまたの機会に。

本作は舞台をアメリカ・シアトルに設定、女を中国系アメリカ人に男を韓国系に変えてある。正直言わせてもらうと、これは女優の演技を愛でる映画に間違いなく、またそう思わせたキム・テヨン監督と彼女は後に結婚までするのだからガチであります。これでタン・ウェイは韓国の百想芸術大賞 映画部門 最優秀女優演技賞を獲得しました。

残念ながら相手役のヒョンビン氏のことを何も知らずに観てしまったのだけれど、最初は無理があると感じた彼のヘアスタイルと人物像も、レストランでの「妻が予約をした」という機転で好感度がぐっと上がり、サッパリわからない中国語で話される女の告白を聞きながら、知ってる「好(いい)」と「坏(悪い)」というたった二言だけで相槌を打つ姿は、当初の違和感を覆すのに充分すぎるほどでした。映画におけるキャラの一発逆転は人間関係を描写するうえで結構難易度が高い。

これは間違いなく監督と俳優ヒョンビンのファインプレー。彼の徐々に変化する姿勢が心温まるからこそ、その後のファンタジーさにも耐えてゆけます。

とはいえ閉鎖された遊園地での遠くに見える男女のやり取りには困ってしまったのが本音。しかし、それをはるかに凌駕する告別式後のタン・ウェイの解放された号泣には、胸がつまりました。観る者にとっては心から彼女が彼に出会えてよかったと思えた瞬間だったのではないでしょうか。

ラストの曖昧さに関しては本作の評価を損なうものではないと自分は思います。映画は本来、すぐ答えが出るように何もかもを判りやすくしなくてもいいはず。

タン・ウェイはこの後、中国映画『北京遇上西雅圖(原題)』でヒロインとしてラブコメに挑戦。ジャンルではかなりのヒットになりました。こちらもシアトルが舞台ですが、性格は本作と正反対で気が強く我慢というのを知らないチャライ妊婦(!)という役柄。わざとなのか偶然なのか、同じシアトルを背景に描きながら真反対の役をあてるというのが、現状の中国映画の景気の良さと余裕を感じます。

『レイトオータム Late Autumn』予告編

関連レビュー
北京ロマン in シアトル(原題・北京遇上西雅圖 2013年・中国)@2013東京/沖縄・中国映画週間

にしてもNetflix、「レイトオータムをご覧になったあなたへ」というお勧め一覧に『ドラゴン危機一発’97』が入ってるのは解せん。それは無理があり過ぎる。

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始皇帝暗殺(原題:荊軻刺秦王 中・日・仏・米、1998年)

演技のすごさにオールOK!となる映画ってあるけど、20年近くぶりに観たら、これはそんな映画でした。公開時の印象よりずっとずーっと面白かったわ。で、キャスティング基準の今昔も感じちゃいましたよ

1998年日本公開時の劇場試写に行って以来なので、おそらく19年ぶり。当時はコン・リーとチェン・カイコー監督しか知らなかったと思う。少し前に姜文が後の始皇帝となる贏政に扮した『異聞 始皇帝謀殺』を観た際、そういや『始皇帝暗殺』ってあったよなぁと思い出したので。

当時は中国の歴史もですが恥ずかしながら始皇帝のことすらよく分ってなくて、そりゃ長くてしんどかったはずだとつくづく。今も詳しいわけでは決してないけど、その頃よりはぼんやり知っているということなのかしらん、大変おもしろかったでやんす。

歴史上の人物というのはロマンを掻き立てるのでしょうか。洋の東西を問わず、創作側はそれまでの単純なイメージを覆したくなるものらしい。春秋戦国時代に初の統一王朝「秦」を作り上げた一方で圧政をもって民を苦しめた暴君を、監督チェン・カイコーは弱さ脆さ無邪気さを加えた人物として描きました。

この作品の主人公はひとりではなく、泰王を殺そうと燕の放った暗殺者・荊軻と、男2人を結びつける縁として登場する架空の女性趙姫、の3人。

キャストは、泰王・贏政に李雪健(リー・シュエチェン)、荊軻に張豊毅(チャン・フォンイー)、趙姫が鞏俐(コン・リー)。始皇帝の生い立ちやどういう風に他国を滅ぼして国家統一を果たしたのかをぼんやりとでも知っていると、存外シンプルなストーリーであります。となると見どころは当然3人の演技ということになりますが、これが素晴らしく良くてね。

特に、泰王リー・シュエチェンの鬼気迫る演技はお腹一杯になるほど堪能いたしましたよ。愛する趙姫の前では子供のように無邪気にふるまい、裏切りには徹頭徹尾冷酷に対処する。それでいて、猜疑心に振り回される弱さと脆さも隠すことなくダダ漏れるその表情の変化を見るだけでも空恐ろしかったし、見応えがありました。荊軻に対する「なぜ笑った?」という台詞は公開時まったく???でしたが、今ならよく理解できる。

対照的に表に一切の感情を現さない男がチャン・フォンイーの荊軻。冒頭彼がまだ暗殺者であった時の刀匠一家虐殺シーンはすごく印象的です。恐らくこの作品中の白眉は周迅(ジョウ・シュン)演じる盲目の娘とのやりとりでしょう。そしてコン・リー演じる趙姫の美しさと芯の強さ。これは主役3人の演技合戦を堪能するための作品といっても過言じゃない。

春秋戦国時代が舞台なので美術にあまり色はありません。その分照明を頑張っております。これでコン・リーがいなかったら相当絵が地味だったろうなぁ(笑)。殺しを止めた荊軻がただの草履編みで再登場した時なんか、あまりのむさ苦しさ汚さに「早く風呂に入ってくれ!」と心の中で叫んだほどです。そうだった、ほんの20年前の中国映画はちゃんと汚い人をリアリティたっぷりに汚く描いてたんだっけと改めて思い出しましたですよ。最近はちょいと顔に汚れをつける程度だもんね。

そして初見時で覚えていた燕の皇太子というキャラクター、今回調べてみて驚いた。燕丹役はコン・リー主演『きれいなおかあさん』や『たまゆらの女』を撮った映画監督のスン・チョウ(孫周)。まじっすか。そして、泰王の宰相・呂不韋はこの作品の監督であるチェン・カイコーその人だったのでした。ひぇー、両監督とも演技がうまいのは勿論、普通に立ってるだけでも存在感ありすぎっしょ!

大陸映画はいうほど観てないのでよくわからんのですが、あっちも香港の内トラみたいに監督が出演することって多いのでしょうか?と、いうかこの役、出番といい演技といい内トラの域ははるかに超えてたよ、驚いたなぁ。

と同時に、今この映画を作るとなると多分燕丹にTVドラマで人気が出た俳優をあて、秦舞陽にはアイドル出身辺りを絶対ブチ込んで来るよね、と想像したりしたのでした。なにしろ小鮮肉(脱ぐといい身体をしてる若手イケメン)のファンは御贔屓に対する出費は惜しまないそうです、いまやマーケティングに欠かせない存在だし、最近の大作では必ず1人や2人キャスティングされてますもんね。そうなると映画の全体の印象も随分変わりそう。色んな意味でこの20年、中国映画は大きく変わったのだなぁと実感させる1本でした。

ところで。
ドニーさんと姜文が共演した『三国志英傑伝 関羽』の曹操がまさにその影響だったのですが、近年は歴史上の人物、特に悪役として描かれることの多かった大物を再検証する動きが盛んなようで、始皇帝も違ったアプローチで研究がされているようです。そんな研究も踏まえ、新たな始皇帝がドラマや映画に登場する日も遠くないことでしょう(すでにあるなら、ごめん)。

そういえば、今度チアン先生がテレビドラマで曹操を再び演じるんだとか。多分、『三国志英傑伝 関羽』に登場した有能な経営者みたいな曹操を膨らませたものになると想像します。うう、それ是非とも日本語字幕付きで観たいなぁ!

The Emperor And The Assassin 荊軻刺秦王 予告

秦の始皇帝に対する数々の誤解 2000年ぶりの再検証

姜文、曹操TVドラマ記事
姜文接演电视剧《曹操》 再现其传奇一生

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女帝 [エンペラー](2006年・中国、香港)

シェイクスピアのハムレットを原作に、舞台を古代中国に変えた宮廷悲劇。ダニエル・ウーは安定の不憫さ。当時としては破格の製作費で、そのド派手な美術セットと豪華な衣裳が凄い

2006年作。11年前の中国映画では破格の製作費だっただろう今作は、今ならCG処理しそうな部分も実写で撮っているので、そういった意味ではアナログな中国大作映画としては最後の作品に位置づけられるのかもしれません。監督はフォン・シャオガン(馮小剛)、音楽はタン・ドゥン(譚盾)。

ものがたりのベースは、シェイクスピアのハムレット。

チャン・ツィイー(章子怡)‐皇后ワン(婉):(ガートルード)
ダニエル・ウー(呉彦祖)‐皇太子ウールアン(無鸞): (ハムレット)
グオ・ヨウ(葛優)‐皇帝リー(厲): (クローディアス)
ジョウ・シュン(周迅)‐インの娘チンニー(青女):(オフィーリア)
マー・チンウー (馬精武)‐イン宰相(殷太常): (ポローニアス)
ホアン・シャオミン(黄暁明)‐インの息子イン・シュン将軍(殷隼): (レアティーズ)

という配役

ハムレットに限らず、シェイクスピア原作ながら、国や時代、舞台設定、視点などを変更したリ・イマジネーション作品は枚挙にいとまがなく、今作もそんなひとつ。主役はタイトル通り、皇后であるチャン・ツィイー。つまりはハムレットにおけるガートルードの視点で描いております。

軽く見積もってもドえらいお金と人手がかかってるだろう美術はみどころであります。衣裳、美術は『グリーン・デスティニー』、『レッド・クリフ』、アテネ五輪閉会式の中国パートも担当したティン・イップ(葉錦添)。

個人的見解を言わせていただければ、暗めの画面に色の使い方が赤黒白金と割と単調だったのに正直途中から飽きてしまったかも。(他の作品を引き合いに出すのは大変申し訳ないのだけれど)『HERO』の衣裳を担当したワダエミ氏の「同じ赤でも54色を染め分けました」という言葉に代表される執念には及ばなかったか。むしろ今作はセットではない、冒頭の竹林の中の舞踊舞台や中盤の雪道のロケシーンのほうが鮮明な印象を残しました。

キャスティングもまたしかりで、俳優陣はかなり豪華なメンバー。が、こう言ったら台無しになるかもしれないんだけど、ツィイーとグォ・ヨウの役を違う俳優が演じたら・・・と序盤観ながら思ってしまったのことよ。

2人とも素晴らしいし好きな俳優ですが、正直この役には合ってなかったかなぁと。グォ・ヨウは『さらば我が愛 覇王別姫』の袁四爺は超ハマり役、けどその延長のしかも皇帝はどうよとか、ツィイーは底知れぬ女の不気味さを表現するには線が細すぎるとか。

なんでもかんでもコン・リー(鞏俐)がいいとは言いたくないけど、彼女ほど薄幸さを纏いながら得体の知れなさを醸し出せる中華美女って他にいるのかな。私が知らないだけなのか?この皇帝役については中国なら他にいそうな気もする。

いつでもどこでもヒラヒラ飛びまくった武侠アクションは、今作のプロデューサーでもあるユエン・ウーピン(袁和平)がアクション監督を務め、袁家班のユエン・チョンヤン(袁祥仁)、ユエン・シュンイー(袁信義)チウ・チュンヒン(趙中興)が武術指導を担当。アクションの分量は結構あるものの、作中似たシチュ、相手、動きの繰り返しになったのが残念だったし、ぶっちゃけ編集があまりよろしくなかったですね。編集は古装テレビドラマやガオシャン監督作品を多く手掛けている リウ・ミャオミャオ(劉淼淼)なので、こういった「映画」での武術シーンの編集に慣れてない気がしました。

普段、レビューでは気に入ったものを書くことの方が圧倒的に多いのですが(好きなのに書きそびれたものはもっと多い)、なんでわざわざ書いてるかと言うと、かなり惜しい作品だなと思ったから。ダニエル・ウーはハムレットにピッタリだし、その皇太子がもとはツィイーと恋仲で、先王(ダニエルには父)に見染められ娶られたことで隠居してたとか、めちゃ好きな設定なのです。しかも苦悩するダニエルとか大好物としかいいようがない。そのドストライクな関係が、表面上なぞっただけだったのが、とても残念だったのでございます。

ハムレットといえばノルウェイ王フォーティンブラスが目撃した通り最後はみな死んじゃうんですからね。ラストはあれで良いと思いました。誰が暗殺したか、それが問題ではなくその座にあるものは常に命を狙われ、生きる気力を失くしてしまえば早かれ遅かれその目にあって当然という時代の無情さということで、ひとつ。

映画ハムレットだと、私はケネス・ブラナーが監督ハムレット役の1996年度版を溺愛しているのですが、私が彼を初めて知ったのがこれまたシェイクスピア原作の映画版『ヘンリー五世』(1989年)でした。かつてロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに所属し自らの劇団でもシェイクスピアを演じていた頃です。その頃、彼の舞台を生で観たいと願っていた事を思い出しました。

にしても、どの国どの時代どの媒体に関わらず、私が宮廷ものにふれたあとの感想はいつも同じです。「この舞台に放り込まれたら、自分なんか一瞬で失脚するよね!」ということ。ほんとう、見れば見るほどこんな環境に生まれなくて良かった。

The Banquet 夜宴 aka Legend of the Black Scorpion (2006) HD trailer
女帝 [エンペラー]公式動画

おまけ
ヘンリー五世アジンコートの戦いの直前、聖クリスピアン祭日の演説。これでケネスに惚れたんや↓
Henry V (3/3) St. Crispin’s Day Speech (1989) HD

We few, we happy few, we band of brothers;
For he to-day that sheds his blood with me
Shall be my brother; be he ne’er so vile,
This day shall gentle his condition;
And gentlemen in England now a-bed
Shall think themselves accurs’d they were not here,
And hold their manhoods cheap whiles any speaks
That fought with us upon Saint Crispin’s day.

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僕たちの家に帰ろう( 家在水草豊茂的地方、2014年・中国)

父の元へ帰る旅は淡々と続く。幼い兄弟の仲は悪い。そしてラクダは故郷を覚えていたが、そこはもう豊かな牧草地ではなかった。たった数年後なのに。寓意に満ちた少年のロードムービー。

広大な中国大陸でわずか1万4千人しか存在しないという少数民族ユグル族。そのユグル族の幼い兄弟が主役です。弟アディカーを生んだために母は身体を壊し、そのため兄バーテルは祖父の家に預けられていました。遊牧民の両親は農地開拓や工業化の影響で砂漠化してしまった土地を離れ、はるか遠くに牧草地を求めて子供達とは別に暮らしています。

弟アディカーが、両親や兄と離れて住んでいるのは学校の寮。何度か父と放牧に出る機会があったため、そうではないバーテル対して負い目のある父は常に兄にだけおもちゃを与え服を買う。

兄が暮らしていた祖父の家では井戸が枯れたため、とうとう大切な羊を売る日がやってきます。やがて祖父が亡くなり、夏休みに迎えに来るはずの父も来ない。兄弟は父親が放牧する地を目指し、ラクダに乗って河を辿った旅に出る。

厳しい旅です。その始まりに祖父の馬を祖父母の墓の前で解き放つ兄バーテル。これから続く砂漠の厳しさに馬の水までないことを知っての行動です。この旅ではいくつかの別れや出会い、そして兄弟の生い立ちからの確執が、淡々と、しかしリアリティを持って綴られており、シルクロードの一部である“河西回廊”を背景にしたスケールの大きな映像は見事。

延々と砂漠の続く2人のゆく手には、かつての井戸は枯れ川が干上がり、廃墟と化した村を抜け、枯渇した湖の真ん中に場違いなボートが打ち捨てられております。

飲み水もなくなり、脱走したアディカーのラクダを兄弟は必死に追いかけます。行きついた先は、ほんの数年前、緑の草原が広がり眼下に水をたたえた川が流れていたはずの場所。夏を過ごした故郷を覚えていたラクダは自らの死に場所をそこに選んだのでした。

瀕死のラクダの血を飲もうとナイフを取り出した兄にアディカーは感情を爆発させ、互いに怒りをぶつけあい、アディカーを強く殴ったバーテルは弟をその場に残して先を行ってしまいます。

死に場所を選んだラクダは滅びゆく少数民族の文化や生活の象徴でもあります。命を終えるその時を何もできずに泣きながら看取るアディカーはアイデンティティーをなすすべなく奪われる現代の彼等そのものです。

やがて見捨てた兄と見捨てられた弟が再びラマ寺院で再会し、そこで施しを受けたことで互いの心が氷解しはじめ関係が少しずつ変わっていくのは、過酷な旅にあって一条の光に見えました。

少ない台詞は、それだけに大きく意味を感じさせ、幼い兄弟のまなざしは、変わってしまった遊牧民の世界とその厳しさをを残酷に映します。そうしてやっと父の元にたどり着いた2人を待っていたもの。

自分のラクダをアディカーに与え兄弟をほかの僧一緒に旅立たせ、1人閉鎖される寺院に残った老僧が、後ろ姿に呟いた「青い草原がよみがえり、君が戻る日を待っている」という言葉が、ユグル族の文化を映画として残したいという一念でこれを完成させた若きリー・ルイジュン監督の願いに重なり、沁みました。

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擺渡人(摆渡人、2016年、香港・中国)

気がつけば香港からいわゆる賀歳片(旧正月コメディ映画)というのが消えてしまった。と、思ったら、しれっとウォン・カーウァイが作ってました。舞台は上海だけど

ネタバレなしのつもりですが、私のことなので要注意。前回に引き続き、地味に金城武祭り状態。これは昨年クリスマスシーズンに公開された作品。

いつの間にか、香港からいわゆる賀歳片(旧正月コメディ映画)というのが消えてしまいました。いや、その時期に公開する大作映画はちゃんとありますが、キャストをオールスターズで固めてカメオ出演者がこれみよがしに豪華で、内容なんかなんもないようなバカバカしいコメディ映画としての賀歳片。

と、思ったら、公開は残念ながら旧正月ではなかったものの、太陽暦の正月向けにしれっと、プロデューサー王家衛(ウォン・カーウァイ)が作っておりました。主演はトニー・レオンと金城武。共演は陳奕迅(イーソン・チャン)、アンジェラ・ベイビー。

数年前、『桃(タオ)さんのしあわせ』『グランド・マスター』『ドラゴン×マッハ!』などでプロデューサーを務めた陳永雄(ジェフリー・チャン)にインタビューした際に、中国で製作される映画の本数があまりに多過ぎて、主役を張る俳優はもちろん、監督から脚本家、作曲家、スタッフ全般、ポスターをデザインするデザイナーに至るまで慢性的に人手不足である現状をうかがいました。

その影響でしょうか。今、気なる新作をつらつら眺めると初監督作品がやたら目につきます。大抵は、助監督、俳優や編集者、カメラマン、もしくはCMディレクターとしてキャリアを積んできた人達なんですが、なかには映像とは無縁だった人の初監督作品というのもあったりします。

その多くが作家で、今作も中国の作家・張嘉佳(チャン・ジャージャー)の同名短編小説を原作者が脚本も担当したという初監督作。しかもプロデューサーはウォン・カーウァイ。

とりあえず、トニー・レオンだしここはやはり広東語で。と思ったら、この広東語バージョンは普通話と会話するタイプでした。というか、ほとんど普通話だった。

映画はヒットしましたが、内容のあまりのバカバカしさに観客は目が点になったようです(笑)。え~、あの、トニー・レオンと金城武にこんなアホな事をさせられる人がいるのがいいじゃあありませんの。さすがカーウァイさん。特に金城くんのキャラはかなりキテる。しばらく「モウモーウ―――!!!」という彼の絶叫が耳から離れませんでしたよ。天下の二枚目ですが、こういうことさせたくなるんだろうな~。昔はヘンテコなことも2人してたよねぇ、と懐かしいやら楽しいやら。

で、この作品の中盤にご機嫌なアクションシーンがあります。アクション監督は谷垣健治さん。ちょっとだけどお手伝いするんだと、やる前は仰ってましたが、案の定、気がつけばガッツリ撮らされたそうで。ですよねー、なんか想像できましたよ。

ウォン・カーウァイに会った?と尋ねたら(興味津津)、アクション撮影に関しては張監督というよりほとんどカーウァイ監督しか見なかったというお言葉。ほんの少しのつもりだったのに「どんどんやっちゃって!」とリクエストされ長くなって・・・と、それも容易に想像がつく(笑)。

さて、そのアクションシーンですが、超派手楽しいそしてタケシー!トニィィィー!エモい!カワイイ!みーんな縦横無尽に暴れ回ってるぞ。特に、このハンサム2人のアップショットがブサカワイイのがよかった。ツインズの時に「アイドルのアクションはアップをブサ可愛く撮るのがポイント」と谷垣さんが言ってたのを思い出しました。うふふ、カテゴリーはアイドル。

途中、トニーと対峙したナース衣裳のお姉さん。彼女の足元のアップもあいまって「お、グランド・マスター?」と脊髄反射したら、お顔もよく似てるぞ?調べたらなんと金樓でトニー葉問と戦った八卦掌の遣い手を演じた周小飛(チョウ・シャオフェイ)その人だったのでした。うお、めっちゃ小技の効いたキャスティング。

彼女、『ソード・オブ・デスティニー』でも、お玉で悪人をシバキ上げた茶店の女将として出演し、劇中ミシェール・ヨーのスタントダブルもつとめました。あの素晴らしい動きです、一度仕事をしたら袁和平(ユエン・ウーピン)もカーウァイ監督ももう一度使いたくなるでしょうね。覚えたっと。

にしても、ジャーマンスープレックスをかますトニー・レオンが見られるとは!一瞬たりとも想像したことなかったよう。ありがとう、谷垣さん!大乱闘では色んな人のブルース・リーもプロレス技も踵落としも無影脚も出てくるよ。んで、なぜか音楽がスラムダンク。なーぜーだー。アニメ、スラムダンクは中国大陸でも人気だったそうなので1980年生まれの張監督にとっては青春の1曲なんでしょうか。いや、アクション監督がニホンジーンだから、なんて身も蓋もない理由だったとしても驚かない、それぐらい昔の香港映画はアホだった(誉めてる)。

多分、谷垣さんが撮ったシーンはかなり使われていそう。楽しかった。けどスラムダンクとアクションのリズムが合ってなかったような気がして残念ですよ・・・。試しにThe Prodigyを適当に流して見てみたらシンクロ感が出て一段とよかったわ。

これ以外にも、作品には多くの香港台湾大陸の有名曲が使われております。そのあたりも香港賀歳片っぽいね、BEYONDも数曲。まったく詳しくないけど、これは絶対古惑仔!と閃いた陳光栄作曲・イーキン・チェン歌の古惑仔シリーズのテーマとか(調べたら、『新・欲望の街Ⅰ 古惑仔 疾風、再び』の 甘心替代你 という主題歌でした)。もちろんイーソンもルハンも歌うよ~。

なかでも、トニーが美女バーテンダーを口説くときにかかる曲がね。そこで使う?みたいな。この口説き方、死ぬほどかわいかったなぁ、まるで90年代のチャウ・シンチー。こんなのも絵になるんですねトニーさん。その口説かれる羨ましい美女はスーパーモデルの杜鵑(杜鹃・ドゥ・ジュアン)素晴らしく綺麗。ラスト近くの2人のショットと彼のナレーションはしびれますから。トニー・レオンファンは絶対に見てください。

一方金城武くんのお相手は台湾美女の張榕容(サンドリーナ・ピンナ)。彼女の事は初めて見たけれど、フランスとのハーフらしいのですがとってもキュートでね、いっぺんで好きになっちゃった。張榮吉(チャン・ロンジー)監督の2011年作『光にふれる』にも出演して賞を獲ったそうです。この金城サンドリーナのカップルがまためっちゃいいの。思わず本気と書いてマジと読むこと間違いなし。

鹿晗(ルハン)、李宇春(クリス・リー)、李璨琛(サム・リー)や台湾の重鎮俳優などゲストも多数。お、そういえば、葉太太の熊黛林(リン・ホン)もアンジェラ・ベイビーの恋敵の役で登場しておりました。葉問以外の彼女はいつもキワモノ扱いでなんだか不憫。『イップ・マン 継承』すごく良かったし、たまにはまともな役をやらせてやってくれ。この2人の女の勝負が酒飲みバトルだったんですが・・・・正直ただお酒を飲むだけなので絵は似てくるし、ラウンド9までやる必要はあっ(略

でも笑いもそういう苦笑も一緒にあるのが賀歳片(私の中ではすっかり賀歳片枠)という気もするから、ま、いっか!武くんの唇も見事に腫れてたしね!

電影 擺渡人 香港預告
【擺渡人】終極預告
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【擺渡人】初見版主題曲《讓我留在你身邊》鹿晗陪你溫暖聖誕

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