ピーキー・ブラインダーズ(2013年~、英BBC)

ちょっとーカッコいいドラマを観はじめちゃったわ。ファッション、ヘアスタイル、キャラクター、時代背景、なにもかも楽しい。内容は1920年代イギリス・バーミンガムの「仁義なき戦い」ざんす。

映画版座頭市シリーズがひと段落して、ボチボチ見ていたBBCドラマ『ピーキー・ブラインダーズ』。Netflixで絶賛配信中なんですが、第2シーズンを観終わっていざ第3シーズン突入と意気込んだら何故か配信が終了していてかなり気落ちしておりました。そしたら、先日配信が再開されていたようでヨカッタヨカッタ。バグだったのでしょうか。めっちゃ焦ったわー。

このドラマ、かなり面白い。
第1次大戦後のイギリス・バーミンガムに実在したというギャング団ピーキー・ブラインダーズのボス、トーマス・シェルビーが主人公。いわばバーミンガム版「仁義なき戦い」と思ってもらってよろしいです。

オープニングを観ただけで、「イケる!」と直感したものは数ありますけど、このドラマもそんなファーストインプレッションを持ちました。

というのも、オープニングに使われている曲が、Nick Cave and the Bad SeedsRed Right Hand だからであります。うぉー、これは観るっしょ!

1920年代が舞台ですが、音楽は現代の渋い曲を使っており、サントラも素敵。

ドラマとしてはシーズン1の初期の段階で個人的にちょっと展開が遅いのではと感じたりしたのですが、中盤からぐんぐん加速。それとともに選曲のキレも増し、かなり趣味のいいサントララインナップになっております。

キャラもイカしてるのよ。主役のキリアン・マーフィーは『ダークナイト』のスケアクロウで覚えました。個性的な顔立ちと美しい瞳が印象的。この役は彼の当たり役。その敵になるサム・二ールは相変わらず変態だし。あと叔母さん役のヘレン・マックロリーがかなりいいです。いやっほう。こういう女の人が出てこないとね!シーズン2はトム・ハーディもゲスト出演するよ。

ギャングとはいえ、今と違ってツィードのスーツ(ボトムは細め)にハンチング帽というスタイル。これがまたカッコいいのなんのって。

当時は労働者階級の象徴みたいな位置づけだったハンチング帽、田舎くささや野暮ったさのアイコンでもありました。彼等はどんな席にもトレードマークであるその帽子で登場します。

なぜならツバの部分に武器としてカミソリが仕込んであるから。カミソリですよ、カミソリ!いざというとその帽子を脱いで敵の顔を攻撃。顔はもちろん目をやっちまう。なんという中二感満載でヤンキーチックな暗器!もうね、ワクワクしますな。

このハンチング、ドラマの影響でイギリスでかなり売れたらしいです。そしてヘアスタイルは当時の流行をぐっと極端に表現したもみあげ上部からぐるっと頭を取り囲むように刈り上げた、最近ではピーキーカットとも呼ばれている独特のスタイル。これは漲る。私が男なら絶対にこれするわ~。と、思ったらジョン・ハムやジョシュ・ブローリンなどこのカットをしたスターの写真もボチボチ見かけたりする。流行ってるのね?ね?ね?

とにかく、おしゃれでセンスがよく、展開もおもしろいし敵のキャラやその関係性もスリリングで最高。今一番自分のなかでホットなドラマです。

ところで、Nick Cave といえば、映画『ベルリン天使の詩』のライブシークエンスで登場したので記憶に残っている方も多いでしょう。この『ピーキー・ブラインダーズ』のオープニングナンバーである彼のバンドの Red Right Hand は、映画で何度も使われており、なかでも『スクリーム』シリーズが有名。色んなバンドにカバーもされております。

フィギュアスケート好きの自分には、溺愛するソルトレイク五輪の男子シングル金メダリスト、アレクセイ・ヤグディンが引退後に出演していた「元フィギュアスケーターと異性タレントによるダンス&スケートコンぺティション」番組 “Лёд и пламень” で女性タレントのマリア・コジェフニコフ( Мария Кожевникова )嬢と踊ったのも印象に残ってる。ヤグディンほんまかっこいい↓
Ягудин Кожевникова “Red right hand” 10.10.10

ピーキー・ブラインダーズ オフィシャルティーザートレイラー
Peaky Blinders || Series 1 (Official Teaser)

くわしいサントラリストはこちら
Peaky Blinders Music Soundtrack – Complete Song List | Tunefind

カテゴリー: music, ドラマ | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , , | ピーキー・ブラインダーズ(2013年~、英BBC) はコメントを受け付けていません

ドニーさんの声明 – ドニー・イェン

昨日、ドニーさんが微博に長文の声明文を出しました。

なんと彼の微博(中国版Twitter)のアカウントが乗っ取られて知らない間に、大陸の人気アクション俳優であるウー・ジン(呉京)くんを誹謗するコメントに対し、公式アカウントから「いいね!」をつけられRTされたそうです。

声明文には、

・悪意あるデマや報道が続くなか、今回の事に心から驚愕した。新浪微博の運営に問い合わせアカウントを乗っ取った何者かがいたことを確認。(その人物に対し)法的責任を問いたい。

・最近出回っている、「(殺破狼の製作時に)ウー・ジンを抑圧した」という噂や記事は捏造であり、事実ではない。アクション俳優として、中国アクション映画ブームを起こした『戦狼2』の成績に励まされたし、彼の努力が報われ大きな成果を上げたことに心から祝福したい。

・ファンと日々の生活のちょっとしたことを分かち合ってきた微博だが、2012年からネット上での攻撃は止まらない。

しかし、それに対し自分が個人的に弁明しマスコミのページを埋めるような資源の無駄遣いをする気はないし、つまらない商業ゲームに巻き込まれるつもりもない。しかし(ここまで)悪どい挑発や誹謗中傷はいわれのない人を傷つけることになるので、今回はやむにやまれず発言した次第である。

だ、そうです。

すぐさま、新浪微博の運営からコメントが発表され

調査の結果、それを書きこんだIPは江蘇省南京市のものであること。その時ドニー・イェン氏は撮影の為に香港にいたため本人ではない、こちらとしても真相を究明し彼が法的手段に訴えることを支持する、と表明しました。

※今日、その微博運営へ再びコメントしたドニーさん、運営の公表に感謝を示しハッカーには「許さん!」と怒り心頭っす。

ウー・ジンくんが監督主演した映画『戦狼2』はこの夏大陸でメガトン級の大ヒットを記録し、チャウ・シンチーの『人魚姫』を超える中国歴代興行収入の第1位を更新し、今なお絶賛公開中です。

しかも、ハリウッド映画以外でのランクインは世界初となる世界の映画歴代興行収入ランキング上位100位入り。このニュースは世界中を駆け巡りました。日本でもNHKが報道したのでご覧になった人も多いはず。なにがすごいって、中国アクション映画でこの快挙ですよ!

長年頑張って来た彼がこういう形で報われたのは喜ばしい限りです。アクション監督に『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』のサム・ハーグレーヴと、そのスタッフを招聘した効果を充分に発揮できたということですもん(中華圏側はジャック・ウォン/黃偉亮)。どんなことになってるのか、すっごく楽しみ。

正直、国民的ヒーローとなったウー・ジンくんにかこつけて、なんでまたわざわざドニーさんのアンチ活動を、誰が何の目的で活発化させるのかよく分りません。

殺破狼に関する噂は随分昔中国の2ちゃんみたいな掲示板で見たことがあります。それが拡散され公然の事のように語られ始めたのは2012年以降です。

その内容は

・殺破狼の時、圧力をかけて主役のはずだった彼を台詞のない悪役にした。
・彼の事を武術チャンピオンごときがなんぼのもんじゃと言った。
・アメリカの特典映像についているメイキングを観れば、アクション撮影中本気で警棒で叩き痛がってるのに謝りもせず笑っている。
・それらを彼はずっと根に持っている。

メイキングに関しては、私はその特典付きのソフトを持ってるのでお前ら全部見たのかと問いたくなる言い分ですが、この話を喜ぶ人にとって真実かそうじゃないのかはもはや関係ないんでしょう。ドニーさんを嫌いな人はそれを本当だと信じた方が面白いのでしょうし、ウー・ジンファンを装ってまで叩いてる人も相当数いそうです。

でも、その裏取りもしていない噂話をさも本当かのように記事にするマスコミは非常に悪質です。日本でもネットの噂や分るようにわざと大げさにした嘘冗談コメントを、裏も取らずそのまま記事にしたり番組で扱ったりして問題になるケースは後を絶ちません。

最近の中華圏は、マスコミの記事なのか個人の書いた「まとめブログ」なんだか一見では分らないようなフォーマットが増え、何度も同じ文章で繰り返し新しい記事としてアップされるためその辺りも混乱に拍車をかけているように思えます。

これに限らず似たような問題は、世界中のネットに溢れています。人は自分の都合のいい聞きたい言葉しか目に耳に入らないようになっている、それは確かです。すぐに判断しない、他の角度の情報も見てみる、様々な局面で肝に銘じなければと、その意をまた強くしました。

ウー・ジンくんの戦狼2のヒットがどのくらいすごいことかの記事
「戦狼2」が「美人魚」を抜いて中国の歴代興行収入記録トップに
アジア映画で初の快挙!爆発的ヒット「戦狼2」が世界歴代映画興行収入のトップ100入り―中国
驚異的ヒットを出したらさっそく、彼はこんな訳のわからん疑惑を捏造されたようで。お気の毒だ・・・。
実は中国国籍じゃなかった?メガヒット愛国映画「戦狼2」のウー・ジンに驚きの疑惑浮上―中国
と、いうか、こんなことで戦狼2を紹介することになったのは本当に悲しい。

2人の関係に関する噂や報道が出まかせではという記事(直後にハッキングすよヤレヤレ)
爆発的ヒットを生んだウー・ジン、ドニー・イェンをディスった!?報復コメントに疑惑が浮上―香港

※戦狼2のヒットに関する記事は、たくさんの日本の新聞サイトやニュースサイトでも取りあげられていますが、時間が経てば削除されてしまうので、長時間残り易い人民網日本語版とRecord chinaを選択しました。内容はほぼ同じです。

カテゴリー: 甄子丹 | タグ: , , , , , | ドニーさんの声明 – ドニー・イェン はコメントを受け付けていません

ローマ法王の休日(Habemus Papam、2011年・伊仏)

超おじいちゃん映画。ここまで画面を埋め尽くすおじいちゃんの映画は初めてかもしれない。なにしろあの緋色の礼服だし。ファンタジーとわかってからは、とにかく「うふふ、わわわ」としてるうちに終わった感じ。観てるだけで楽しかった。思いっきりネタバレ

見ることのないコンクラーヴェ(教皇選挙)の様子(しかも皆選ばれたくないんかい)、キャストの9割を占めるおじいちゃん。枢機卿の白いレースと緋色の礼服。そしてバチカンのスイス衛兵の控室だよ!制服脱いで甲冑磨いてるし!

出演もした監督のナンニ・モレッティは美味しい役だったなぁ。彼のシーンがことごとくいいんだもん。周りを取り囲まれてカウンセリングする構図や「聖書にある記述はどれも鬱を示唆する」なーんてカトリックの中枢に向かって言っちゃうし。

ぶっちゃけひねくれ者の私は、枢機卿達の純粋無邪気ぶりを前にしてもなお「いつドロドロの権力闘争の神経戦が始まるんだ」としばらく身構えておりました。『ローマ法王の休日』という邦題であの予告だったにも関わらず、です(笑)。

本作のバチカンはとってもファンタジーなバチカンでした。そう確信を持ったのは教皇の部屋から聴こえてくる歌に合わせて全員が手拍子を打つシークエンスだったでしょうか。そこからカードゲームへの流れ(遅いよ)。トドメは、バレーボールのリーグ戦。オセアニアの1点には私も胸が熱くなりました。

バレーボールといえば、一昔前のイタリア人って日本のアニメ「アタックNO.1」が大好きだったのよね。昔イタリアに行った際にも夕方放映していて鮎原こずえがグラッチェグラッチェ言ってました。彼等が日本アニメで不思議なことのひとつに「最後に必ず出るあのマークはなに?」というのがあって、実はそれ「つづく」の文字だったりする。なるほど彼等にはマークに見えるか。

さて、今作で賛否の分れるラストについて。

日本公開時の2012年に観た人達は、作品の好き嫌いはさておき教皇という地位を辞退するなど「は?ありえないでしょ」と感じた人も多いと思います。が、現実には2013年、終身制とばかり思ってきた教皇の座をベネディクト16世が辞任しました。就任から8年後のことです。歴史上でも異例の辞任の理由は「高齢による健康上の不安」。

真の理由は他にあるのだと憶測されておりますが、いずれにせよ「自らの意思による退位」は1415年のグレゴリウス12世以来およそ600年ぶりのこと。

さすがに世界中が驚いたこの事実を先に知っていると、ラストの衝撃度はかなり和らぎます。この前に観なかったのは誰のせいでもない自分のせいなんだけど、それが良かったのか悪かったのか。

邦題が邦題だけに、観賞前は逃げた教皇と市井の人達との交流が楽しく繰り広げられるのかと想像しておりました。劇団との交流もひょっとして代役で舞台にあがっちゃったりする?と一瞬期待させといて、チェーホフの「かもめ」をモチーフに持ってくることからしてモレッティはそんな展開には意地でもする気はなかった。とはいえ、いつの間にか厨房でドーナツもらって食べてるのは笑ったけど。

劇中歌がよかったなぁ。アルゼンチンのフォルクローレ歌手で、60年代から70年代にかけラテンアメリカを中心に起こった、音楽を通した社会変革運動「ヌエバ・カンシオン」の旗手であったメルセデス・ソーサの Todo Cambia (すべてが変わる)。彼女はその影響力の強さゆえに軍事政権から弾圧を受け、亡命しなければならなかったほど。

教皇に選ばれてしまったことで初めて本来の自分に気がついたメルヴィルの気持ちを一番表していたのはこの曲だったかもしれません。また曲のいわれを知ってか知らずか微笑みながら手拍子する枢機卿たちの姿も示唆に富んでおりました。

『ローマ法王の休日』予告編
HABEMUS PAPAM – NANNI MORETTI – TRAILER UFFICIALE HD(イタリア版予告)
『ローマ法王の休日』メイキング映像(コンクラーヴェ)
映画『ローマ法王の休日』頑張るおじいちゃんたちの撮影風景
Mercedes Sosa – Todo Cambia

カテゴリー: film, music | タグ: , , , , , , , | ローマ法王の休日(Habemus Papam、2011年・伊仏) はコメントを受け付けていません

ヘッド・ショット(Headshot、インドネシア・2016年)

かつて壊滅的だったインドネシアの映画界を復興させた存在でもあるティモ・ジャヤントとキモ・スタンボエルのコンビ「モー・ブラザーズ」。その2人とイコ・ウワイスがタッグを組んだ。インドネシアお得意のゴア描写もたっぷり。そしてあらためて思いました。アクションは編集と音楽的センスが大事。最後はギャレス・エバンスの話。ごめんなさい。

これを観たあと、『ザ・レイド GOKUDO』が観たくなってしまい速攻観直してしまいました。1作目の『ザ・レイド』は自分の中で経典入り作品なので別格として、今作とGOKUDOをついつい比べてしまうのはよろしくないと知りつつ、どうかお許しください。

イコ・ウワイスといえばザ・レイド。若いうえ主演2作目にして代表作ができたなんてなんつー幸運なお人でしょう。最初から主演とアクションコレオグラファーを兼ね、すでに自らのスタントチームも持っている。それだけ彼には力があるし、ギャレス・エバンス監督とのケミストリーが衝撃的でした。

ザ・レイドシリーズの代名詞となったゴア表現。

実を言えば、その流れは2000年以降にジョコ・ワンクル監督と今作の監督のモー・ブラザーズが、スプラッター要素を前面に出したホラー映画を相次いで製作したことに端を発します。彼等は近年のインドシア映画を語る上では欠かせないキーパーソン。

そこで壊滅状態にあった国内映画復興の兆しを作ったという下地があったからこそ、『ザ・レイド』という世界的ヒットを記録した映画に繋がったことは事実。モー・ブラザーズに関しては残念ながら私は今作と『KILLERS/キラーズ』しか観ておりません。

この『ヘッド・ショット』では、主演のイコ・ウワイスと監督の1人ティモ・ジャヤントがアクション監督としてクレジットされています。

映画界ではアクション監督やスタントコーディネーターといえば、ほとんどをスタントマン出身者が占めております。インドネシアでは本編の監督が名を連ねることがあるんですね。当然、ザ・レイドのギャレス・エバンスもしかり。

中華圏だと、スタントマン出身でない著名アクション監督といえば、ブルース・リーとドニー・イェンくらいなんじゃないでしょうか(ドニーさんの場合、スタントマン参加したと言われるのは1作のみで、デビュー前の肩慣らし的スタンス。なのでスタントマン出身というカテゴリーに入れるには無理がある)。

他にはジェット・リーのデビュー作『少林寺』組にもいるかもしれませんね。スタントマンや俳優でもない有名な人だと、香港のダンテ・ラム監督と大陸のシュー・ハオフォン(徐浩峰)監督位しか私には思いつかない。

かつて一世を風靡したショウブラの巨匠チャン・チェ(張徹)監督が撮る台本のアクションシーンには、一文字「打」としか書いてなかったとか。そのエピソードに代表されるように、昔の香港映画はアクション撮影が始まると監督は武術指導に丸投げして、さっさとスタジオを出ちゃうのが普通だったそうです。

さて、話を『ヘッド・ショット』に戻しましょう。

気に入ったアクションシークエンスがあれば、かなりのことに甘い自分でもあの場所至近距離での看守VS受刑者の撃ち合いはどうかと思う(笑)。そんな風にひどく現実離れしすぎた部分と、目の覚めるようなゴア満載アクションがないまぜになった映画でした。

一番面白かったのは警察署襲撃。

アクションはやっぱ色んなものがゴチャゴチャある所で戦うのが面白い。ペーパーカッターは勿論、タイプライターも武器。いいですねぇ。それにしても中華圏の机に比べインドネシア製は頑丈だ。

後半でイコとタイマン張るのが、GOKUDOの”ハンマーガール”ことジュリー・エステル。彼女登場のナイフアクションは超クール!美人だし動けるしハンマーガールに心ときめかせた人は必見。

そしてバットマンだった ベリー・トリ・ユリスマンがバットを警棒に変え暴れております。警棒にはロマンがありますな。ラスボスはシンガポールの俳優で武術家、スタントコーディネーターでもあるサニー・パン。渋いおじさまです。

困ったことに、この終盤のタイマン三番勝負が自分には長く感じてしまいました。ただでさえ撮るのが難しい広い場所での戦い三連発。実際の時間も4分以上、ラスボスに至っては10分近くもわちゃわちゃしちゃいました。特にアクションの合間に台詞やら入ってきてリズムが悪かったような。

もちろん動きは凄いし俳優自身がここまで出来るとかは、すでに前提です。

せっかく撮ったシークエンスをカットするのが勿体ないという気持ちが製作側にあったのかな。しかし、あえて短く刈り込んで編集をうまくすれば、もっともっとかっこよくなる余地があったんじゃないか、だからこそ残念でもありました。アクションシーンに編集って本当に大事なんだなぁ。

1作目は別格として、GOKUDOに絞ればギャレス・エバンスもアクションシーンはややもすれば長めではあります。しかしハンマーガール、バットマン、クランビット遣いのマスター・キラー3人のシークエンスをコラージュしてリズミカルに緊張感を高めていました。

くわえて長尺ラストバトルの直前のハンマーガール&バットマンvs.イコ・ウワイスをコンパクトにまとめたので流れとしてメリハリが生まれています。

そして何より彼はカメラワークが非常にいいし(長回しを活かすカメラワークと、それを支える俳優やスタントマンの技術の高さ!)、なんといってもアクションの途中で長々思い出話したりしない。

同じようにドラマ部分がちょっとかったるい(アクション映画に2時間越えはキツいっす)この2作に差があるとしたらアクションシーンでのリズム感というか監督の持つ音楽的センスが違うのかもしれません。単に好みの差かもしれませんが、これは編集に現れるところ大だと思ったりもする。

最初からあまりに完成度が高いので、つい忘れてしまいがちですが、イコ・ウワイスという人はまだ発展途上にあると思います。彼に足りない物があるとすれば、カメラワークや編集、そしてキャラクター考察も含めたアクションワークの経験値という点なのかもしれません。

なにしろセンスあるギャレスが、イコのまだ未熟な部分をアクション監督としてカバーできちゃうもんなぁ。残念ながら、ギャレスのいない今作では、コレオグラフィに音楽的なセンスと戦いから見えるはずのキャラクターの感情が希薄でした。せっかくギャレス・エバンスといういい見本が身近にあるのだし、今後イコが経験を積んで、全体から逆算できる映画的体内時計や立ち回りにフレーバーを+αするような演出面で一皮むけてくれることを切に願いたいと思います。そしたらマジ最強になるよ、まちがいない。待ってるから。

それにしても、ギャレス・エバンスという監督は不思議な人ですね。

最初はシラットのドキュメンタリーを撮るつもりでイギリスからインドネシアに来て、そこでイコ・ウワイスやヤヤン・ルヒアンと出会い、あっという間に『ザ・レイド』という傑作を形にしてしまいました。2作目のGOKUDOはアクション撮影や工夫に関して飛躍的に成長しているのに驚くし、アクションの見せ方をすごい研究してるんだろうなということが分ります。相当オタクですよね。

メジャー映画に関しては、だいたい2年から3年のタイムラグがあるのでGOKUDOで「こりゃ本物だ」と思わせたギャレスがハリウッドに招かれるのもそろそろでしょう。来年にはアメリカの有名スタジオでアクション映画を撮っても驚かないし、むしろ次作のレイド3を優先させたので遅れてるのかも。

映画『ヘッド・ショット』予告

インドネシア映画の変遷については、洋泉社ムックの「アジアン・アクション映画大進撃」の岡本敦史氏のコラムが超お勧め。

カテゴリー: film, アクション映画, 甄子丹 | タグ: , , , , , , , , , , , , , | ヘッド・ショット(Headshot、インドネシア・2016年) はコメントを受け付けていません

ジョン・ウィック:チャプター2(John Wick: Chapter 2、米・2017年)

冒頭のカースタントだけでもうたまらんわ。めちゃんこかっこいいいいいいい。車は鈍器。大いに殴り合え!あとリロードフェチの人も必見です。作り手のフェチシズムと情熱をストレートに感じるこういう映画は本当におもしろい

そういえば、前作『ジョン・ウィック』は2014年に『カンフー・ジャングル』を観に行った際に香港で観たのであります。ジャングル先生のあれやこれやで頭いっぱいで書く機会を失ったままでした。その2が公開されたのです。

最初のカーアクションから最高だった。これは、カーチェイスじゃなくて“カーアクション”。「ガン・フー(Gun-fu・ガンとカンフーの造語)」とか「ナイ・フー(ナイフとカンフー)」とか言っちゃってるのに、なんでこれに「カー・フー(Car-fu)」ってつけなかったのかと思う。ほんと素晴らしい。あそこだけ延々とリピートしてもいい。

アメリカ人のカーチェイスってほんとリズム感と一日の長があるよね。スタイリッシュなカースタントはいっぱいあるけど、ここまで殺気に満ちて殴り合ってる感が前面に出て(ホントに人を車で蹴り飛ばす)なおかつ長尺なのに飽きさせないのは凄いし、なんといってもフォード・マスタングがボロボロになってゆくなんて死ぬほどセクシャルなシークエンスだったよ。ここだけで200点超え。んーもー。やーらーれーたー。

第1作目は、引退した伝説的殺し屋が犬を殺され車を奪われロシアンマフィアに復讐するというお話でした。殺し屋の集う謎のホテルコンチネンタルの存在やルール、ゲーム内通貨まんまなコインとか、主人公ジョン・ウィックが格闘術に長けたガンフーの遣い手!でヘッドショットを確実に決める、という世界観はすでに前作で出来上がっております。

引き続き、アメリカで今ノリにノッってるスタントチーム”87イレヴン”の共同創立者の2人、デヴィッド・リーチが製作(1では共同監督の立場)、チャド・スタエルスキが監督。キアヌと監督が続編でジョン・ウィックの世界観をどう膨らますのか、楽しみにしておりました。

2作目ではマトリックスへのオマージュたっぷり。なにしろローレンス・フィッシュバーンとノキアの携帯に地下鉄ホームっす。そして今度はイタリア・ローマが舞台に選ばれ、コンチネンタル・ローマのオーナーがフランコ・ネロときたもんだ。うふふふふ。

あと、キアヌのリロード動作ね。セクシーだったな~。監督がとても誉めてましたが、リロード好きな人は絶対に観てください。

予算が増えた分、ロケ地がこれまたすんごくいいの。カラカラ浴場(Terme di Caracalla)や、ローマの国立近代美術館(Galleria Nazionale d’Arte Moderna)とか。特に美術館内のアクションシーンは本当に美しい。巨大な大理石像、アントニオ・カノーヴァ作「ヘラクレスとリカス」(1795年)の前に広がる空間を、アクションの舞台に選んだだけで盲目的に加点しちゃいたい。

実際どこまで本物の美術館で撮影したのかわかりませんが、もし同じものを別セットで作っていたなら、彫刻や壁にガンガン弾着セットして穴開けるだろうし、ブラックレインを思い出させるような後付け照明とかなかったのではと感じたりもします。(そういえば、同じ美術館ファイトでトム・ティクヴァ監督の『ザ・バンク 堕ちた巨像(2009)』のクライマックスはNYグッゲンハイム美術館。映画の為にグッケンハイムのセットを別に建てたので銃激戦で破壊しまくってました)

この作品を観てて思ったのは、生身の人間が動き、そのアシストとしてのテクノロジーの進化ってほんと素晴らしいってこと。もしこれが実際の美術館内で行われたのだとしたら安全性を増した撮影用銃器や、マズルフラッシュ、着弾、血糊等のCG技術のお陰だし、同時に撃たれるスタントマン達の技術の高さもそれを支えてる。その後、鏡の間というブルース・リー『燃えよドラゴン』へのオマージュへ続いたのも、このシーンがあるからこそでしょう。

次ローマに行くことがあれば、こんな私でも絶対に行ってみたいもんね、国立現代美術館。長い目で考えれば映画のロケ地に貸し出すというのは絶対にリスクばかりではありません。なので世界中の美術館オペラハウス、古城など歴史的建造物関係各位におかれましては怖がらずアクション映画にどんどん素晴らしいロケ場所を提供してください、お願いします。

さてアクションは、前作で見せたガンフーという接近格闘術を取り入れたスタイルが同じですが続編ではナイフや鉛筆、また柔術なども加えました。それは目新しく映るけれど、ボルジアの階段をジョン・ウィックとカシアンが派手に階段落ちするなど、やってることは実はシンプルだったりします。実際キアヌが自身でやるカースタントや格闘、銃の扱いなどが、この映画の見せ場だし。メイキングを見てるとキアヌは大変な練習をしていて、1作目がまさにそうでしたが、彼の努力が結実し報われてよかったなとしみじみ感じました。この作品の放つエネルギーを生んだのは間違いなくキアヌの存在。これを撮りたかったんだ!という熱を感じられる映画ってほんとおもしろい。

映画『ジョン・ウィック:チャプター2』日本版予告編
今度は家かよ!『ジョン・ウィック:チャプター2』予告編

最後に、トリプルX:再起動で惚れたルビー・ローズ姉さんかっこよかったですね。もうねあのスーツ姿・・・・見惚れてしまった。しかし、しかーし、彼女はもっとできる子!次こそあのキャラ能力を最大限ブラッシュアップできる作品を期待!欲張りなワタシ!

そして、武器ソムリエは『ショーン・オブ・ザ・デッド』でゾンビ化するルームメイトのピートであった。

そうそう、製作の“87イレヴン”デヴィッド・リーチは今度のシャーリーズ・セロン主演『アトミック・ブロンド』の監督なんすよね、これ実は今年一番楽しみにしている映画。
映画『アトミック・ブロンド』特報
この後は『デッドプール2』だそうで。

カテゴリー: film, アクション映画 | タグ: , , , , , , , , , , , , , , , | ジョン・ウィック:チャプター2(John Wick: Chapter 2、米・2017年) はコメントを受け付けていません

ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!(HOT FUZZ 英仏、2007年)

巷で言われるようにアメリカアクション映画へのオマージュたっぷりですが、英国コメディ映画の持つ独特のテイストは、自分にとってモンティパイソンが原点。スケッチ「グレバッパ族」とか記憶にしっかり刻まれてる。すまんね、こんな懐古趣味な始まりで。ネタバレ

冒頭のニコラス・エンジェルの説明からニヤニヤして、左遷が決まり同僚のにこやかな笑顔でこれは当たりかも!とワクワクしました。

なんといってもティモシー・ダルトンがいい。あの笑顔、あのスーツ、さびれたスーパーマーケットのオーナーというキャラに、しかも日本語吹き替えが土師孝也。最高でした。

正直、芝居の翌朝まではすこーし中だるみを感じちゃったりもしたのですが、イギリス映画だからキニシナイ。道路の真ん中に男女の首が置いてあるのを見て期待値は一気に上昇。その期待を裏切ることなく、あとはラストまで楽しかった。

当然ながら、音楽がめちゃんこよくてねぇ。 Adam Ant かよ! しかも Goody Two ShoesXTC もあるよ~。ニューウェイヴとかいうとりましたな。あとコージー・パウエルとか渋すぎんじゃ・・・。『ショーン・オブ・ザ・デッド』や『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』もそうでしたが選曲がよすぎ。

脚本の妙としてはニコラスが懸命に推理した動機より、真の動機「公共の利益」のバカバカしさ。この監視委員会の存在はイギリスらしくて、そのうえクライマックスの市街銃撃戦がお約束の興奮度で大満足です。

モンティパイソン好きな人や、普段穏やかなバーサマがいきなりショットガンで襲ってくるとか、自転車に乗ったメガネの冴えないおばさんが二丁拳銃で撃ってくるとか、そういうシュールな絵面が好きな人には、たまらん展開。

スタントコーディネーターは、Paul Herbert(ポール・ハーバート)。ヲタクとして知られるエドガー・ライト監督ですが、彼の作品ではアクションも重要な要素のひとつ。アクションスタッフを調べてみたらイギリス映画ではイギリス人コーディネーター、合作だとまた別の人と使い分けている印象。

この辺はへーと思ったこともあるので、改めて『スコット・ピルグリム VS 邪悪な元カレ軍団』とか『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う!』を観直して書いてみてもいいかなと思いました。

さて、このポール・ハーバートさんですが、1995年に業界入り、『タイタニック』でスタントマンをしたそうです。『ジョニー・イングリッシュ 気休めの報酬』ではスタントドライバーも。

その後スタントダブルを経て、コーディネーターとしてのおもな作品には、ベン・ウィートリー監督のヒャッハーアクション『ドゥームズデイ』、団地SF『アタック・ザ・ブロック』、古装もするよ『ロード・オブ・クエスト ドラゴンとユニコーンの剣』、マーク・ストロングとコリン・ファース『モネ・ゲーム』、『スプリット』のアニャ・テイラー=ジョイちゃん主演『モーガン プロトタイプ L-9』や、サシャ・バロン・コーエンとマーク・ストロングの兄弟スパイコメディ『The Brothers Grimsby(原題)』、今度のブラピのNetflixオリジナル作品『ウォー・マシーン:戦争は話術だ!』も担当。

予算もアクションスケールも大きくなり近作はセカンドユニットディレクターも任されてるよう。まだアクションバリバリの映画に特化した存在という域に到達はしてないのかもしれませんが、名前を知ったのも何かの縁、今後の活躍を楽しみにします。

さて、いきなりモンティパイソンに話を戻して恐縮ですが、フライングサーカスのスケッチに「グレバッパ族」ってのがありました。好きだったなぁ。あと、サム・ペキンパー風スケッチの「サラダの日」。これが自分にとってはゴア描写との邂逅だったのだなぁと今気がついたでござるよ。今作で花屋の女性がハサミで胸を突かれる描写が、演技や血の吹き出し方がまんま「サラダの日」だったので笑った。

エドガー・ライト監督の新作『ベイビー・ドライバー』も楽しみだ!

Hot Fuzz Official Trailer #1 – (2007) HD
映画『ホット・ファズ -俺たちスーパーポリスメン!-』予告編

カテゴリー: film, アクション映画 | タグ: , , , , , , , , , | ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!(HOT FUZZ 英仏、2007年) はコメントを受け付けていません

サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド(Sightseers 英、2012年)

冴えない40前の男女が付き合いだして初めての旅行、キャンピングカーでイングランド北部を巡るという旅に出る。このカップルが美男美女じゃないフツーの男女というキャスティングが、めっちゃミソめっちゃイギリス映画。ネタバレ。

ハリウッド製のサイコパス風な美男美女では絶対この味わいにはならない。今作の笑いどころは、まさしくこの冴えない男女にあるんだもの。

旅に出た2人がウキウキハイウェイを飛ばすシーンで流れたのは、Soft Cell の Tainted Love 「あなたの愛は汚れてる、今すぐここから逃げなきゃ」と歌う1981年のUKヒットソング。うっわ、懐かし!てか、ハッピーカップルにそれってどんな皮肉や。

おもしろくなってきたのは、女がいとも簡単に殺人を犯し始めてから。

すると、あろうことか男の方がドン引きし始める。

お前だってワケワカラン理由で連続殺人してるやろ!と総突っ込みするとこですが、彼には彼なりのルール(笑)があるそうな。いや、ルールといったってコロコロ変わる代物で別に厳格なわけじゃないし、他から見れば2人とも些細な事でキレた身勝手な殺人犯でしかない。

男は自分のした事を女から赦され理解されたい。だから彼女は彼を理解していることを示したくて殺人を犯す。

しかし男は、同じことを誰かにされるのが嫌なんですね。自分は特別な人間であるはずで主導権を常に持つべきなのに、それを自分のガールフレンド、しかも「まったくもってイケてない地味で誰かに支配されるために生まれてきたような女」が勝手にすることが許せなくて、自分が殺人をした後はめっちゃハッスルしたのに、とたんに彼女とのセックスにも興味がなくなる。実にわかりやすい。

そこに彼を笑顔にする別の存在、キャンプチャリの男マーティンが登場します。彼にとって一番の存在でなくなったことを感じとる女。

そして女の方も彼が寝ている間にこっそり彼のノートを盗み見て知るのであります。この男は才能など持ち合わせておらず小説を書く気などないことに。

かといって、彼を手放す勇気もない女は賭けにでた。マーティンを誘惑し、うまくいかないとみるや今度は嫉妬を利用して恋人を繋ぎとめる方向にチェンジ。しかし、それも徒労に終わり、彼女は新たな友人を殺す。なぜならそれしか方法が思い付かなかったから。「お前は母親と同じだ、依存しかできない」一番言われたくない言葉を男は投げつけます。

その言葉に激昂し馬乗りに掴みかかった女の真の姿がここでようやく表に現れる。彼女の一番の弱点を掴んだ男は、やっと主導権を取り戻した気になったのか「劇薬みたいな女だ」と彼女にキスをする。そこでかかるのが Frankie Goes To Hollywood の名曲 Power Of Love なんでありますよ。

なんという渾身の皮肉。魂を~清める~愛の~ちから~などと滔々と歌われるなか、2人はキャンピングカーを焼き最終目的地リブルヘッド陸橋へと手を繋いで向かう。わははは。

で、そこで待っていたものは。

エンディングロールでは冒頭の Tainted Love をオリジナルの Gloria Jones が歌ってる。ツボにはまる選曲は、本作の製作総指揮をつとめたエドガー・ライトとその愉快な仲間達(今作の監督はベン・ウィートリー)と同じ曲を自分がリアルタイムで聴いていたからなんでしょう。どんな曲がかかるのか、この愉快な仲間達の作る映画での楽しみのひとつになっています。

さて、この意地の悪い脚本は主演の2人、アリス・ロウ、スティーブ・オラムが書きました。殺人は単なる記号であり、そこに仕事や趣味、政治、モラル、理想の家庭像を当てはめてもいい。世界中にたくさんいる夫婦やカップルをデフォルメしたような映画です。バンジョー、ポピーと違う名で呼び続ける犬は、そんなカップルの子供みたいな存在で、すれ違いは永遠に呼び名すら同じにすることはない。

88分という短さもあって、私はこれを長編「スケッチ」と捉えて見ておりました。実際、この主演脚本はコメディ畑の人達だし。

これが笑える人は、幸せな人なのでしょう。むしろ少しでも幸せだと確認したくて笑ってるのかもしれません。関係のあまりのリアルさに傷つく人はこれに泣き、呆れたり怒る人に対しては「ご愁傷様」と製作者が鼻で笑うような、そんな意地悪さに満ちている。それこそが皆が有難がる英国ブラックコメディの面白く、またクソなところでもあります。

『サイトシアーズ~殺人者のための英国観光ガイド~』予告編
Soft Cell – Tainted Love
Frankie Goes To Hollywood – The Power Of Love
Gloria Jones Tainted Love Original 1964-5
このナンバーは2001年にマリソン・マンソン先生もカヴァーしていたりする。
Marilyn Manson – Tainted Love HD

追記:Frankie Goes To Hollywood の Power Of Love はMVが東方の三賢者とキリストの誕生なので、なにやら宗教的なイメージがあるそうだけど、彼等を知ってるとちょっとにわかに信用できない。なにしろ、歌詞の締めが Make love your goal なので。Make love のあの強調の仕方といい、そのまんま受け取っていいと思うし、その二重のイメージがあると踏まえた方がこの映画にふさわしいのでは。

カテゴリー: film, music | タグ: , , , , , , , , , , | サイトシアーズ 殺人者のための英国観光ガイド(Sightseers 英、2012年) はコメントを受け付けていません

エターナル・サンシャイン(Eternal Sunshine of the Spotless Mind・2004年、米)

チャーリー・カウフマンの構成力のすごさよ。脚本と映像が非常にいい。観ている間中、色々考えたりした人も多いだろうなぁ。映画ってある意味そういうものでもあるよね、ネタバレ

監督
ミシェル・ゴンドリー
脚本
チャーリー・カウフマン
原案
チャーリー・カウフマン
ミシェル・ゴンドリー
ピエール・ビスマス
出演者 
ジム・キャリー
ケイト・ウィンスレット
キルスティン・ダンスト
マーク・ラファロ
音楽
ジョン・ブライオン
撮影
エレン・クラス

まったく観る気はなかったのだけど、ネトフリのお勧めで出て来たので、誰が出てたんだっけ?と概要を読むつもりでクリック。なのにどうやら違うところを押したみたいで、いきなり始まってしまい、そのまま観てしまったという不思議な出会い。107分があっという間でした。

それにしても脚本のチャーリー・カウフマンの構成力のすごさよ。途中から、ああそういうことかと薄々分るのだけど、メアリーとハワード博士の事までは想定外でした。すばらしい。

そうなると、メアリーの話す引用が大きく意味を持って迫ってくる。パトリックの存在は、(パンツはひとまず置いとして)実は多くの人が陥り易い「好きな人に好かれたいためにそのようにふるまう」という恋のまた別の形。

ミシェル・ゴンドリー監督の映像はCGバリバリで作ってもおかしくないところ、案外ローバジェットだったんでしょうか、記憶のシーンをおもに照明美術というアナログ手法で上手に表現しており、とても面白く好感が持てました。もしVFXを多用していたら、これほどまで人の心を捉えなかったかもしれません。

正直、ジム・キャリーとケイト・ウィンスレットは苦手な俳優ですが、それを些細なことに感じさせるほどよかったし、そう思わせるだけの力がこの映画にはありました。

ふたりがもう一度めぐりあうことには驚かなかったけれど、記憶を消去する直前のカウンセリングのテープで、互いにどれほどうんざりしていたのか彼等が聞くことになるとは。このもうひと押しが凄い。

記憶を失くしても再び魅かれあっている事実がありながら、同じことを繰り返したくないとクレメンタインはジョエルの部屋を出ます。

「待ってくれ」と引き止めるジョエル。
「でもあなたは私を嫌いになるのよ。そして私はあなたに退屈して息苦しくなる。それがこれから起こることなのよ」

わかる、わかるよ、そう思うよね。

困惑の沈黙のあと、「いいさ」と微笑むジョエル。その言葉にとまどいながら「・・・だよね」と答えるクレメンタイン。

そしてラストソング、BeckEverybody’s gotta learn sometimes

あのひと押しからこのラストは本当に素晴らしい。

誰しも消したい記憶のひとつやふたつあるでしょう。いや、必死で消さないと前に進めないそんなしこりが残っていることだってある。

かなり色々考えさせられました、ありがとう。

エターナル・サンシャイン予告

Everybody’s Gotta Learn Sometime

カテゴリー: film | タグ: , , , , , | エターナル・サンシャイン(Eternal Sunshine of the Spotless Mind・2004年、米) はコメントを受け付けていません

座頭市地獄旅(1965年・日本)後編

ネタバレ。全26作中12作目ともなれば、それまでの作品で劇中かなり人を斬っている。アクション映画の特徴として、続編が重なる度にスケールが大きくなってゆくという不文律に囚われ易く、徐々に郡代や代官、関所破りだの巨悪を相手にしがちだったのだけれど、ここで勝新太郎と三隅研次監督は一旦原点に戻る決断をしたのかもしれません

その一端として、お馴染み「市さんのインチキ丁半博打」も登場。

映画の前半。乗り込んだ船では、市が1作目以来何度か披露したインチキを客に仕掛けます。頼んで壺を振らせてもらったものの、壺からサイコロがこぼれたことが盲目ゆえに分らない。客は黙ったまま全員その目に賭けるので、それを知らされない市は大敗。

次も同じように壺から外れたサイコロを見てどんどん賭け金が増えてゆく、が、今度は壺を開ける直前に「袂からこんなところに転がり出やがって」と壺の横にあるサイコロを袂に戻す。そして壺を開けるとその中には反対の目が出ていて市の総取りとなる仕組みです。

イカサマだと騒ぐ客。しかし「博打ってのは壺の中にあるサイコロで決まるもんでございましょ?それをあんたがたは壺の外にある目に賭けてなさったのかい?」と正論をいわれてぐうの音も出ない。そこへ逆切れした男たち(ちなみに、須賀不二男と藤岡琢也だったりする)に、にこやかな表情から一転、すごんだ声で「めくらだと思って見くびりやがって」とそいつらの手をひねる。何度観ても胸のすく一瞬。

船を降りた江の島では、さんざんな目にあわされたその2人が地元の江島屋の親分に加勢してもらい市を襲います。按摩を頼まれた部屋で押さえこまれた市がとっさに蹴りあげた煙草盆が火鉢に落ちて部屋中を灰が覆い、視界がきかない状況に。

そのなか、唯一不利にならない市が肉弾戦で暴れ回る。刀を抜かないまま藤岡琢也をドロップキックで2階から突き落としたのには変な声が出ました。1965年ですよ。いくら力道山で国民的人気を博したプロレスとはいえ、時代劇ヒーローがドロップキックを披露したのは座頭市が初めてではあるまいか?(先に誰かやってたならごめん)余談ですが、1989年版『座頭市』ではなんと関節技もやっていたりもする。恐るべし勝新太郎。

しかも藤岡が落ちた際に下にいた芸人の少女に怪我を負わせ、後の市の行動に大きく関わってくるのだから、脚本として良く出来ていると思います。

やがて、傷が原因で少女が破傷風に掛かっていることが分り、責任を感じた市は、5両もする南蛮渡りの霊薬を買う金を作るため賭場に向かい手っとり早く例のインチキ博打をするのだけど、開けた壺の中は外に出たサイコロの目と同じ丁(笑)。それを知った市の慌てぶりが可愛すぎ。

座頭市にはコメディシークエンスが結構ありますが、ここは船のインチキ博打と対になってるだけに大笑い。全部すっちまってガックリきた市に成田三樹夫扮する浪人が、自分のショバを明日一日貸すから元手を稼げと励まします。いい奴じゃん。翌日、客が投げた金を棒で受ける市の芸が大ウケ。この脚本には無駄な場面がほとんどない。すごい

お陰でそれを元手に賭博で稼いだ金で薬を買う。その薬がまた「透沈香」ときたもんだ。歌舞伎十八番にある 「外郎売」(拙者親方と申すは、お立ち会いの中に御存知のお方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方・・・)の外郎でやんす。

やっと買った薬の箱を懐に沼地の帰路を急ぐ市を、しつこい2人組が助っ人を連れて襲います。前半でやられたモブがここまで出張るのもなかなかないので珍しい(というか、それまでだと最初の襲撃で斬られっちまうので登場しようもないんだけど)。

そこで座頭市は今作初めて人を斬る。葦の中、大人数に対するアクションは見通しの悪い場所で、1人ずつ相手にするとても丁寧な作り。リズム、橋桁に走り寄る間合いと、落とした薬箱をめぐる戦いがハラハラを盛り上げてめちゃめちゃカッコいい!この作品の白眉。

そして敵を片づけるや、懐に入れたはずの箱がまたない事に気がついて必死に探す市の姿はものすごい緊張感。私が26作すべてのシーンで一番胃をギュッと掴まれたような気分になったのが、このシークエンスでした。

やがて、見つからないと這いつくばって諦めムードの実はすぐそばにある透沈香の箱。観客はすべからく「いーちー!!よこー!」と胸中で叫んだでしょう。やっと箱を見つけた勝新の演技のいいこと、見応えたっぷり。ほんと、うまい。

翌朝。
薬を飲んで寝ている少女の側、壁に身体を預けて三味線をつま弾く座頭市から匂い立つ色香。しびれました。かっこいいいいいいいいい。「抱いてー!!いっつあん!」と声をあげたくなる、これまた26作中で一番お気に入りの勝新ショット。このショットがあるというだけで『座頭市地獄旅』は傑作だと断言しちゃってもいい。

そこへ「おじちゃん」と声をかける少女は、実は子役時代の藤山直美(当時は藤山直子)。お父さんの藤山寛美も『座頭市逆手斬り』(1965年)に偽座頭市に扮する役で出演しておりましたが、本筋というより賑やかしのような役回りだったのでちょいと勿体なかった。痛がって泣き叫ぶ声や小さく「ありがと」と呟く声の塩梅といい、座頭市に関しては娘直美に軍配は上がるかも。

彼女の礼を聞いて、泣きそうになって思わず部屋を出た市が柱にぶつかる動き(ある意味お約束)や、それを見ていたお種の表情は非常に印象に残りました。

そして湯治にと箱根に向かった市とお種、少女と(なぜか一緒にいる)浪人・十文字糺の4人。そこで最後のピースとなる山本学扮する侍・佐川友之進に出会います。仇討のため旅に出たこの友之進とお供の六平がいいお人でねぇ。何の邪心もないこういう人に会うと市は心から安心するんでしょうな。その湯治場へ友之進の妹・佐川粂も合流。1人旅だった粂は男装した若侍姿。うは、りりしいっす、大好物。さて、これでコマが出揃った。ここからどう収束してゆくのか。

そんななか兄妹の供である六平が土砂降りの毘沙門の境内で仇討成就のお百度参りの最中に絞殺される。証拠と思われる釣り具の浮きから犯人が浪人かと疑惑を抱いた市が部屋に戻ると彼はすかさず「どうした?」と声をかける。出来る男はちょっとの空気の違いも見逃さないのであります。

この時すでに浪人は市が彼を疑っていることを勘づき、また市は彼がそれに勘づいたことに気がついた。部屋を出た市と部屋に残った浪人。障子越しに互いの刀に手をかける2人。

この緊迫感がたまらない。

いよいよ戸浦六宏一味が市を襲う算段を付けはじめお種は急いで出立しようと持ちかける。実は彼女はかつて市に殺された男の女房でした。けれど旅するうちに市に惚れてしまっており、ここまで一味を手引きをしてきたと告白するのですが、彼はそれを一切責めもせず、共にゆくと言う浪人と再び4人で箱根の関所を目指して山道を歩く。

後ろからは座頭市をを狙う男ども。「どうだ久しぶりに一丁」と浪人は市の杖を引きながら将棋の対局を提案する。2人は歩きつつ頭の中で将棋を指し始めます。

そこへ、仇打ちのいで立ちをした兄妹を乗せた籠が4人を追い越してゆきました。供の者を殺したからには彼等が誰だかは知っているはず。籠から発せられる殺気に気がつかぬ浪人ではない。市が全てを見抜き、計ったことだと瞬時に悟ったことでしょう。それを互いにおくびにも出さぬ男2人の対局の声が次第に緊張感を増してゆく様にしびれます。

「六九の角、待ったは御法度だよ、六九の角、それで詰むかい?詰むかい?」
浪人・十文字が生き残るためには、市を斬り仇討を返り討ちにするしかない。
「どうやらご臨終らしいな・・・」
あとはその奇襲をどこで仕掛けるか。
「六四の歩、王手!」
思わずいつもの癖で鼻を触り、パチンと指を鳴らす十文字。これこそが兄妹の追う仇のしぐさ。

「勝った!」と言いながら、手のうちの証拠、浮きを見せる市。それを合図に斬り結ぶ2人。市に斬られた浪人は瀕死のところを兄妹によって討ち取られたのであります。

この脳内将棋から一連の息詰まる男の攻防には、得も言われぬ昂りがありました。

そして一見蛇足に思える戸浦六宏一味とのラストファイトですが、「先に仕掛けるな」と子分にいう戸浦六宏の声に市は杖を置いて座り込んでいます。その杖に足をかけたまま斬りかかった相手に、すかさず足元の鞘から仕込みを抜き全員を斬る。やっぱ先に仕掛けちゃいかんのですよ。それか踏むなら鞘じゃなく柄の方ね。

ここで見えてくるのは、仕掛けない相手にわざと隙を作って襲わせるという何度も見て来た座頭市の常套手段。もちろんラストは咄嗟の判断ですが、浪人・十文字に対してはわざわざ兄妹を籠で追い抜かさせて結果、じれた相手に仕掛けさせたと読むこともできます。人の良さそうな顔をして実は一筋縄ではいかない座頭市。好きです。ダークヒーローという謳い文句は好きじゃありませんが、こういった部分はそう呼ぶに相応しいトリックだったのかもしれません。

全てを終え無言でその場を去る座頭市。その姿に手をついて頭を下げる仇討兄妹。お種と少女は後を追うが、いつしかその姿は消え、目前に富士の山が広がるばかりでありました。

時代劇でよく見かける仇討。相手が逃げてしまった場合、ドラマみたいに運よく仕留められることはほんのわずかだったそうです。しかも仇討に出た側は相手を見つけて討ち取らなければ表向き死ぬまで帰ることも叶いませんでした。なので逃げた犯人を仇討に行くことは人生かなり崖っぷち状態。だからこそ現実では家督を継ぐ長男を出すことはほとんどなく、親戚や食いぶちに困った三男や四男坊などを行かせるケースがほとんどでした。

仇の顔を唯一見ていた供の者が殺された時、「我々は相手の顔も知らぬのだ。これで兄妹は帰る事も出来ずお家は断絶、放浪のままに朽ち果てるしかない」と(多分長男なのであろう)佐川友之進が打ちひしがれる姿は、正道からだけではない、先の人生への絶望からだったことが分ると、より一層哀れです。

とにかく、この『座頭市地獄旅』には、魅力的な剣豪と素晴らしい殺陣、そしてハラハラ感、スケールの大きすぎない物語と、繊細な演技に裏打ちされた男女の機微、そして市のキュートさにくだんの色気たっぷりなショットと、自分の一番好きな座頭市がたった87分にギュッと詰まっています。これを傑作と言わずして何が傑作でしょうか。しかもそれが、そろそろマンネリ化しそうな12作目で作られたというタイミングと製作者の底力に驚くばかりでございます。

追記:

あとから考えたのですが、この映画が好きな理由の一つに「ストーリー上、市の怒りを誘発するために、いい人がなぶられ酷い目にあったりしない」ということもあると気がつきました。

TVも含めこのシリーズでよくあるのが、いい人が理不尽な理由やそれこそ市と知り合ったがために酷い目に遭うまたは殺される、という流れ。そこに食傷気味になっていたということかもしれません。この作品でも友之新のお供六平(これもいい人!)が殺されているので「まったくない」とは言えないのですが、この位なら許容範囲(説得力なし)。

なお、シリーズ中殺されて一番気の毒だったのは『新・座頭市物語』の安彦の島吉(須賀不二男)です。弟の仇と市を狙っていた男ですが、剣術の師匠の妹に求婚されヤクザを捨てようと決意した市に「殴るなり蹴るなり好きにしてもいいが命だけは残してくれ」と頼まれます。2人の気持ちが本気とわかった島吉はサイコロで決めようと提案。

本当は島吉の勝ちだったのに、そっとサイコロに触れ「お前ぇの勝ちだ」と去っていく渡世人の鏡みたいな男。ほんと後光が差して見えるほどカッコよかった。なのに、その後、鬼畜な剣術師匠の手にかかってアッサリお陀仏。斬った師匠は26作でゲスい奴トップ3に入る、ほーんと嫌な奴だったわ!多分評判悪かったんでしょうね、TVシリーズのリメイクでは師匠にもやんごとなき理由が付け加えられておりました。

カテゴリー: film, アクション映画 | タグ: , , , , , , , , , , , , , | 座頭市地獄旅(1965年・日本)後編 はコメントを受け付けていません

座頭市地獄旅(1965年・日本)前編

勝新太郎・座頭市映画シリーズで一番好きな作品。このシリーズの重要な要素、ひな形が第1作目にすでにあるのは間違いない。なのになぜそれでなく、これになるのかというと、単純に一番好きなシークエンスがあるから。成田三樹夫がとってもいい

これと、第一作目の『座頭市物語』はとてもよく似ていると言われる。監督三隅研次とカメラ牧浦地志は同じ。めっちゃネタバレしております。

監督:
三隅研次

脚本:
伊藤大輔

撮影:
牧浦地志

音楽:
伊福部昭

キャスト:
勝新太郎
成田三樹夫
岩崎加根子  
藤岡琢也
須賀不二男
戸浦六宏
山本学
藤山直子

観終わって、ものっすごい傑作じゃん!と思ってレビューをいそいそ読みに行ったら成田三樹夫との勝負が唐突過ぎるという意見に多数あたってしまいびっくりしました。この驚きは成龍の『ラスト・ソルジャー』以来。まあ、自分が好きだと思ったものにそうじゃない人がいても別にいいんだけど、こぞって大絶賛とばかり(笑)。

シリーズ12作めともなれば劇中かなり人を斬っている座頭市だけど、今作の前半は殺さずお仕置き程度。そもそも、第1作ではほとんど人を斬らなかった市であります。それが回数を重ねるごとに敵の人数はどんどん増え、毎回キルカウントを更新する勢いでございました。

アクション映画の特徴として、シリーズが進むほど敵のスケールがどんどん大きくなってゆくという不文律に陥り易く、シリーズ途中で「いつか御三家や将軍様と闘う事になったらどうしよう・・・」と一瞬思ったこともあったりして。今作で勝新さんと三隅研次監督は一旦原点に戻る決断をしたのかもしれません。そう言う意味でもそこかしこに栄えある第1作目への原点回帰の意図が見え隠れします。

オープニングは夜。築地塀(ついじべい)の合間をゆっくり歩く座頭市の後ろ姿。祭り囃子が聞こえている。土塀の下部はきちんと石垣になっており、さすが大映美術といったところでしょうか。美しゅうございます。その壁の陰から、4人のヤクザが飛び出してきて市を囲む、と、そこに伊福部昭のスコアが禍々しく鳴り響いて「座頭市地獄旅」のタイトル。

最後に、5人目、松葉杖をついた戸浦六宏扮する栄太がゆっくりと登場。うお、なんか因縁あるねこりゃ!と胸が高鳴る。刀を抜いた4人の敵がぐるりと取り囲む中心で腰を落とし杖を両手に握った臨戦態勢の市。ロングショットで男どもを鮮やかに斬るが、顔に傷をおわせたりして珍しく殺さずに蹴散らしたのでした。

ヒーローものの肝はなんといっても悪役の魅力。悪役がかっこよければよいほど、映画は締まります。この作品は浪人・十文字糺(ただす)を演じた成田三樹夫が文句なしに素敵。彼のキャラだけで勝ったも同然。

座頭市シリーズの悪役と言えば1作目『座頭市物語』で天知茂演じた平手造酒が有名ですが、こちらは切羽詰まった雰囲気がなく、座頭市に負けず劣らず飄々としているのがとてもキュート。かと思えば、将棋の勝ちにこだわり、相手の待ったを許さなければ、自ら「たとえ将棋の場であっても時と場合によっては」斬ると公言する男です。それに「物騒な」とあきれ顔の市に対し、思い立ったようにこれは公平な勝負とは言えないなと、自ら目隠しをして「こっちも見ないで対等に指す」と頭の中で盤を浮べ対局を続けます。

度を過ぎた潔癖さを伴った理想の勝ちへの執念と、同時に十文で他人に殴らせる商売をするいい加減さのアンバランスさは「ああ、こういう人いるかも」と妙なリアリティがありました。一方の市は、そんな浪人を好ましく感じながらも、信用しきってない心情がふっと言葉に現れる。

たとえば目隠した対局中に襲われ撃退後の台詞。

「市、お前凄い早業だな、てっきり俺が狙われたかと思った。一瞬遅からず早からず、勝負は引き分けというところだ、俺も目隠しをしていたんだから」
「あっしの方が勝ってたら、次は斬られる番ですかい」
「好きな相手は斬らんよ、斬っちまったらこの世でせっかく好きになった相手がいなくなっちまうもんな」
十文字さんたら、狙われる立場で、その上もんのすごい負けず嫌いなのね。で、もって市さんの事は気に入ってる様子。

本作の市は、やむにやまれぬ場合を除きなるべく殺生したくないと考えている男です。それに対し肝の据わった姿と親切心持ち合わせていながら、いざ殺すとなったら何の迷いもない浪人は、ある意味キルカウントを増やし続けて来た過去作品の市の姿の鏡像めいた部分もあります。

加えてこの浪人をめぐる仇討の兄妹、そして冒頭市を狙った戸浦六宏演じる栄太一味の追跡、市が助けた少女と彼女を連れたお稲という謎の女との交流と、いつもより多めのエピソードが交錯します。これだけぶっこんできたら散漫になってもおかしくないところ、無駄な場面がほとんどないどころかかなり上手くまとまっておりました。

お種演じる岩崎加根子は微妙な女心の変化を繊細に表現していて実に上手い。こういうヒロインにありがちな「前触れもなく惚れちゃった感」もなく彼女が市に魅かれてゆく過程が丁寧に演出されておりました。さすが女性映画の監督としても名高い三隅研次。

恥ずかしながら、冒頭の船に乗り遅れたシーンで戸浦六宏一派が話していた「お種」「笠」「追跡」というキーワードをすっかり忘れてしまっていたものだから、途中までこのいわくありげな女お種がどんな人なのか分らずにかなりサスペンスを盛り上げてくれました。うふふ、怪我の巧妙。このボンヤリさも手伝って、この映画を必要以上に面白くさせたのかもしれません。

悪い癖でまたダラダラ長くなってしまった。ので続きは後編へ。

カテゴリー: film, アクション映画 | タグ: , , , , , , , , , | 座頭市地獄旅(1965年・日本)前編 はコメントを受け付けていません