これは、本編を観るまでは絶対に読まないことをおすすめします:ドラマ篇
「このまま時が止まって欲しい」人は何度そう願うでしょうか。
この葉問シリーズで、3作目の今回が一番ウィルソン・イップ監督らしい作品に仕上がってる気がする。彼の監督作で好きな映画に『オーバーサマー爆裂刑事』と『ジュリエット・イン・ラブ』がありますが、ご本人が「本当はラブストーリーとか人間ドラマの方が作るの好きなんだよね~」と話してるのを読んだ時も、そうだろうなぁと納得してしまいました。
そんなウィルソン・イップとドニーさんの5年ぶりの新作は、実在した葉問という人物をモデルにしながらも、ショウビズ界において完全にヒーローアイコンと化した「葉問」が主役の、新たに創作された映画。当然のことながら1ミリたりとも実話ではありません、念のため。
なにしろ『序章』『葉問』にいた長男、葉準すらここには登場しない。冒頭のクレジットで「長男準は、故郷佛山に勉学のために戻った。」と一言さらりと説明があるだけ。おいおい、初見でそれを見逃したために「なんでお兄ちゃんがいないんだ????」と私はかなりうろたえましたよ。
今回そのポジションには次男葉正が、前2作の葉準と同じくらいの年齢の姿で登場します。なんだかんだ葉家にはこれ位の子が一番バランスがいいという事なのでしょうね。
オープ二ングは、お約束、葉問が叩く木人樁から。音楽はこれまたお約束、「葉問 マエストロのテーマ」を川井憲次さんが大河ドラマ風にブラッシュアップ。背景はどうやら師父のご自宅のようです。2に比べて暮らし向きは格段によくなったよう。あれからお弟子さんも増え、ちゃんと稽古代ももらえているのが想像できます、よかった!
と、葉問がひとり無心に打つところへ、一匹の蝶が舞いこみ、木人樁のてっぺんで羽を休めます。ふと手を止め、その蝶をじっと見つめる師父。
このオープニングロールは、ファンが何度も映画を観るとわかっていてウィルソン・イップは作ったよね・・・。2度目からはオープニングだけでガン泣き。何度観てもまんまとその策略に乗ってしまうわけですよ、もお。
舞台は1959年、香港で詠春拳は知られるようになり、武術界からも街の人達からも一目置かれるようになった葉師父。ある朝、武館で盆景(盆栽)の手入れをしているところ、ドアを開けて「葉師傅?」と1人の青年が入ってきます。
「覚えてます?俺の事。子供のころ、大きくなったらまた来いと言われたんすよね」
おおおおおおおおお、ブルース・リー !!!!!!
のっけから登場するとは、びっしり席の埋まった香港の劇場でも誰ひとり想像してなかったので、どよめきが起こります。
ここのやり取りの一部はすでにクリップが上がっているので、あの感激はこちらでもう一度どうぞ。
煙草の次に師父がカップの水をブルースに向かって放つと、ブルースがこれをキック。しかし水は形あるもののようにはいきません。
そして「さっきの水を君は蹴り返せると思ったか、出来ないと思ったか?」(というような多分感じ)と一言。立ちあがると黙ってドアを開けます。くやしそうな表情でそのドアを出てゆくブルース。それを見送った師父の悟った微笑。
ブルース・リー、水とくればどうしたって
Empty your mind, be formless. Shapeless, like water.
から続く名言を思い出しますよね。まるでその後の彼の哲学を連想させるようなこのシークエンス。ううう、もうね鳥肌が立ちました。
今作のドニーさんの演技としては、ここが一番すごかった。いや、いつもの飄々とした柔和な態度なのですが、決して前面に出すわけではないブルース・リー信者としての自負を内包した演技だった、とでも申しましょうか。
世界広しといえど、陳真と葉問両方を演じた男は彼しかいません。このシーンだけで、ドニーさんが葉問という役に巡り合えて心からよかったという思いを新たにいたしました。いやあ、ウィルソン・イップ、ほんっっっっっとうにグッジョブ!!
続いて、ウィルソン・イップらしいと思ったのは時折混じるユーモア。特に小学校の先生であるカリーナ・ン(吳千語)と葉問の弟子ルイス・チョン(張繼聰)や、葉師父とその妻永成との男女間のやりとりが面白い。1作目2作目と少し上品すぎるきらいもあったこの夫妻が、苦難を乗り越え時間を経てより夫婦らしくなったことを、とても嬉しく眺めました。
さて、お話は、悪いデベロッパー(マイク・タイソン)が息子の通う小学校を地上げしようとしたり、その手下パトリック・タム(譚耀文)が校長(これがチャウ・シンチーの「食神」の夢精大師ことタッツ・ラウ(劉以達)でね、彼の登場アップだけで観客大笑い)や学校を襲ったりそれを阻止した葉問を逆恨みして息子正を誘拐したり、またムエタイ刺客が葉問を狙ったり。
息子の同級生のお父さんがマックス・チャン(張晉)演じる張天志。実は彼、葉問の師である陳華順のこれまた師、梁賛の孫弟子にあたるいわば同門。大陸から香港に来て車夫をしながら男手ひとつで子供を育てている苦労人。息子に自らを「師父」と呼ばせまた自分は息子を「徒弟」と呼ぶ、まさに「武痴(武術バカ)」な男です。腕はあるのに金はなく生活と武館を開く夢のために闇試合で小銭を稼ぐという裏の顔も持っていて・・・というストーリーはまぁ置いといて(置いとくのかよ!)、この映画のキモは、癌に侵された妻永成とそれを知った夫葉問とのベタなラブストーリーにあります。
今回は敵方に明確な悪の基軸がなかった分(ゲストの目玉、タイソンはそれなりにいいポジションにしたという政治的配慮もありーの)正直アクションはすごいのに、残念ながらアクション的カタルシスはさほど強くはありません。が、それを補うべく夫婦の物語を後半のメインに持ってきました。
そうなったら、ウィルソン・イップの本領発揮。なにしろあの観客の涙を絞った『ジュリエット・イン・ラブ』の監督ですよ。永成の病気が発覚してからのこのハンドルの切り替えはびっくらこきました。でもいい、だからいい。
特に、2人のラブストーリーとアクションが混ざり合った対ムエタイ戦はお見事。夫は武館を放ったらかして連日妻に付き添って漢方医や薬屋に通います。脈を取ってもらう彼女を横から見守るしかない葉師父。
処方してもらった薬の包みを持つ2人を乗せたエレベーターのドアが閉まる直前、ムエタイ刺客が乗り込んでくる。男が前を向いたきりサンダルを脱ぐのを見るや、黙ったまま夫の持った包を受け取る妻。
このアクションシーンのなにがいいって、川井憲次さんの音楽が死ぬほど素晴らしいんです!
それまでに、永成のテーマとも言うべき新曲が何度かかかっています。彼女が癌と告知された時、それを地域の安全のため奔走する夫に言いだせないすれ違い、そしてやっと夫に自分は癌であると告白する場面。このアクションシーンではそんな彼女のテーマ曲と、お馴染みマエストロのテーマをアレンジしたファイティングナンバーのメロディが交互に主旋律を奏でるわけです。
曲は今後の流れに黙って身を委ねようと思わせるに充分でした。2人のテーマが絡み合うメロディに気がついた時、このシーンの持つ意味が一層重みを増すという仕掛けです。
小さなエレベーターの中で妻を守りながら刺客に立ち向かい、一瞬扉が開いた隙に敵を蹴り出し、すかさずエレベーターのドアを閉める。彼女は安全、そう思ったらあとは思い切り無双するしかないでしょ。あたらめて敵と対峙する葉問の姿に畳みかけるような師父のメロディ。卒倒しそうなほどかっこいい。戦いながら階段で下に降りてゆく男2人、そして1階でようやっと倒した男を横目に、妻を乗せたエレベーターの位置を確認すると「行け」と男を追いやります。
男が去って行ったのを確め振り返った師父は夫の顔に戻り、着いたエレベーターのドアを何事もなかったように開ける。その時の永成の安堵した表情と、足元に落ちた包を拾い妻の手を握りエレベーターを降りる夫。なんという素敵なラブシーンでしょうか。
先程、明確な敵がこの映画には存在しない、と書きましたが、監督ウィルソン・イップが第1作のテーマを「生存」、2作目「生活」、第3作は「生命」と語った通り、本当の敵は「限りある命」でした。どんなに無双な葉問でも残酷な真理の前にはなすすべもありません。たとえそれが一番愛した人であっても。
妻永成を演じたリン・ホン(熊黛林)は、この作品で女優として素晴らしい存在感を示しました。広東語の台詞も今回は恐らく彼女自身が喋っております。
夫妻が病状を聞く場面では、絶妙な構図になっており、まぁそのショットの麗しいこと。こんな美男美女の夫婦ってどうよ、と突っ込むのも忘れて見惚れてしまいました。
そんな危機をよそに、張天志が、デベロッパーの手先となって稼いだ大金で立派な武館を開き、「どちらが詠春拳の宗師に相応しいか決着をつける」と葉問と公開試合をすることをマスコミに宣言。
しかし葉問にとってそんなことはすでにどうでもいいことでした。彼は妻のためにダンス、チャチャを習いに出かけます。そしてそのダンス教室でブルース・リーと再会(彼は実際ダンスが得意でチャチャコンテストで優勝したこともある名手)。
「なんで、あの時俺を弟子にしてくれなかったんだ?」という問いに、師父は「私は弟子にしないと言った覚えはない、ただドアを開けただけだ。出て行ったのは君の方だろ?」と答えます。
そこへ「あのダンス教師より俺の方がずっとうまい。教えるから、俺を弟子にしてくれ」というブルース。かくしてここで伝説的師弟の誕生と相成りました。このあたりのいきさつも、葉問と李小龍との微妙な本来の関係性を、誰のイメージも壊すことなく表現していて「うまい!」と唸りました。
いよいよ公開試合の日、真新しい武館では張天志をはじめ武術関係者新聞記者たちが葉問の到着を今かと待ち受けています。そして現れない葉問に張天志の勝利が宣言されるわけですね。
同じ時、葉問は妻とダンス教室でチャチャを踊っていました。この2人のダンスがほんとう可愛くって可愛くって。私はあやうく萌え死ぬところでしたよ。
しかし病魔は2人の楽しい時間を無残にも切り裂き、永成はその場で倒れ病院に入院。日に日に弱ってゆくなかで「あなたと写真を撮りたい」という言葉に、それまでどんなに失意の中にあっても決して流すことのなかった葉問が思わずこぼす涙。
もうね、ここで私の涙腺も決壊です。ウィルソン・イップめぇぇ、ジャン・ユーといいサイモン・ヤムといい、なんでそんなに不治の病が好きなんだよ!
写真を撮るシーンでは、ラフマニノフのパガニーニのラプソディーを聴いただけでグッとくる条件反射を私に刻み込んだ恋愛映画の傑作、『ある日どこかで』を彷彿とさせるショット。反・則(涙)。
写真を撮り終えた夫妻は、妻の願いで武館へとやってきます。
木人樁を前にたたずむ永成。「久しぶりにあなたの打つ木人樁の音を聞かせて・・・」と言う妻に(涙)ゆっくり立ち上がって木人樁を打つ師父の手が、途中で止まるんですよね。その背中が(涙)。
人は人生で何度「このまま時が止まって欲しい」と切望するでしょう。この時2人は心からそう願っていたに違いありません。
「 もし、私が病気でなかったら、あなたは張天志の挑戦を受けたかしら?」
長い間合いの後、絞り出すような声で葉問は答えます。
「・・・ああ」
「それでこそ、私の愛した葉問よ。
ごめんなさい、あなた。私、勝手に張天志に試合をもう一度してもらえるように手紙を出したの・・・行きましょう」
そして永成を連れ、張天志の武館に赴いた葉問。妻は2人きりの勝負を壁の向こうで聞いています。それはかつて道場破りが乗り込んできた佛山の自宅でしたみたいに。
勝負は、六點半棍、八斬刀でも決着はつかず、いよいよ徒手に雪崩込みます。
そして薄氷の勝利をものにした葉問が踵を返したところで、張天志が「詠春正宗(正統派詠春)」と書かれた自らの看板を叩き落とし「俺は敗北を認めない恥知らずじゃない」と自らに言い聞かせるように語りました。
それを見た師父は一言だけ声をかけるのです。
「あなたのそばにいる人こそが、最も大切にすべきものだ」
その言葉を聞いて、壁の向こうで嬉しそうに微笑む永成。
そして父親の勝負を陰から見ていた次世代を担う互いの子供たち。
これが、ドニー・イェンの葉問シリーズの完結編になったとしても私は何の文句もありません。
完璧です。
1960年、妻永成は癌のためこの世を去りました。あの日「時よ止まれ」と強く願った武館の椅子に腰をかけ師父はひとりゆっくりお茶を飲みます。隣には座る人のいない、もう一脚の椅子が残されたままで。
さて次回は、総評になる・・・のか。続く、つもり。