すんごいものを観ちゃったよ!!
監督、脚本
ミロスラヴ・スラボシュピツキー
制作、撮影、編集
ヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィチ
出演
グレゴリー・フェセンコ
ヤナ・ノヴィコヴァ
ロザ・バビィ
オレクサンダー・ドジャデヴィチ
イワン・ティシコ
はわわわわわ。すごいすごいすごい。ぶったまげた。いきなりそんな頭悪そうな言葉しか出てこないけど、ほんと面白かった。
映画って表現は本来無限なんでしょうけど、そこは色々お約束があったりご贔屓さんには甘めに見ちゃったり、溺愛しすぎたりするともう制作秘話とかにまで反応しまくっちゃって(特に自分はそういう傾向は大いにあり)実は受け取る側の心構えも手伝ってやっと成立することも多い。
が、そんなものを軽く凌駕する、というか全身全霊をかけて画面を凝視せざるをえない映画がこの世に誕生したということに驚きです。
2014年公開のこのウクライナ映画は、すべての登場人物がろうあ者で字幕なし吹き替えなし全編手話で語られる作品。それだけでなく、音楽もなければ信じられないほどの長回しで綴られるこれは132分という尺でカット数わずかに34。こんな映画観たことない。
ストーリーはセルゲイという少年がろうあ者専門の寄宿学校に入学するところから始まります。心優しそうな学長がいて可愛らしい年少の少年少女も寄宿するこの学園の学生の間では、暴力と犯罪が支配する階層構造が存在しその悪のグループは強盗売春というシノギで金を稼ぎ他者を従属させる。そのトライヴ(族)の一員になった主人公が見た現実と愛と果てしない絶望。
自分は正直登場人物の誰にも共感はできませんでした。けれどもファーストショットから延々続く長回しと字幕がないゆえに必死に画面から物語を読み取ろうとさせる手法に、あっという間に絡み取られてしまいましたよ。
透明人間になってみたい、そんな願望を持ったことはないでしょうか。
この作品はまさに、自分が透明人間になって彼らの過酷な日常を見ている、そんな奇妙な気分にさせてくれます。しかもこの映画では透明人間である自分にもどこか立ち位置を与えるような余白が残っている。共感できないのにその感想も不思議だけれど、恐らくは気の遠くなるようなワンシーンワンカットというヴァレンチヌ・ヴァシャノヴィチの執念深いカメラワークによるところが大きいのかもしれません。
そしてこの奇妙さに衝撃を加えるのが、言葉を喋らない彼らが激昂したときやセックスをした際に発する喘ぎや息遣い、そして彼らには決して聞こえていない生活音。音楽を一切排除したために彼らの感情を代弁するかのような音が常に響いていて、特に闇医者で堕胎する少女の苦しみの呼吸音とラストでのあの音はエンドロールで遠ざかる足音とともに長く重く心に尾を引きます。
2014年のカンヌ映画祭批評家週間グランプリをはじめ数々の映画祭で受賞した殺伐としながらも美しく壮絶なこの作品は、2015年4月18日より渋谷ユーロスペース、新宿シネマカリテ他全国順次公開。