なんという圧倒的な映像。なんという過酷な現実。
監督
ルー・チューアン(陸川)
キャスト
トプギェル(多布傑、日本語表記ではデュオ・ブジェとされることもアリ)
チャン・レイ(張磊)
キィ・リャン(亓亮)
チャオ・シュエジェン(趙雪瑩)
同じ監督の『ミッシング・ガン』の時にこんな風に書いたのに思いの外長い時間をかけてしまいました。
・・・上手い言葉は見つかりません、すごい映画です。
冒頭、居眠りをする男の車の窓をトントンと叩く音がする。目を覚ました男は銃を持った男達に連行され、彼らは銃で高原を逃げるカモシカを撃ち、日が暮れると懐中電灯の明かりの下その皮を剥ぐ。
やがて捕えられた男は1人からこんな風に尋ねられる。「お前は山岳パトロールか?」「ああ」「じゃ、リータイの部下か?」「ああ」「縄を解いてやれ」そのとたん、質問した男は捕えられた男の頭を銃で撃ち抜く。
舞台は90年代後半、中国チベット高山地帯でありチベットカモシカの生息地ココシリ。その毛皮が高級毛織物の原材料として高値で取引されることから密猟が横行、10年ちょっとで数は100万から1万にまで激減していました。そこへ取材としてやって来た北京の記者が、密猟団を追う地元の自警団である山岳パトロール隊に同行するという実話を基にした内容。
まずはこの映画の撮影に関わった人達に敬意を表します。なんという圧倒的な映像。
過酷な自然をフイルムに納め、そのなかで生き生きと演技をする人々の姿は、観る者に自然に対するシンプルな恐怖と畏敬の念をグイグイ突きつけてきます。叶うことなら劇場で見たかった。
追う方(山岳パトロール)と追われる方(密猟団)の背景はあまり多くは語られません。元軍人のリーダー以外は学生や運転手など素人で、なのに命がけのしかもボランティア集団。伝わってくるのは自分達とともにあるはずのカモシカや民族としての誇りを守りたいという執念。一方密猟団の方は、牧草地の砂漠化によって貧困からやむにやまれず密猟の実行犯として働く元遊牧民だったりするわけです。しかも冒頭のシーンが示す通り彼らは殺人さえ厭わない。もちろんパトロール隊にも様々な事情から矛盾をはらんだ行動もします。この敵対するふたつは同じ地に生きる同胞であり(密猟団のボスはちがうかもしれないけど)同時に両者ともに厳しい自然を生き抜くための戦いをも強いられている。
いわばコインの裏表のような存在で、いずれも中国政府の重商主義、自然破壊に対する無理解と無策から犠牲になっている人々です。しかし中国大陸で公開される映画には政府機関による「検閲」という制度があり政府に対する批判はできず、そのために誰の口からも決してその根本は語られることはありません。
それゆえなのでしょうか。こういった映画にありがちな記者目線での正義の定義や可愛らしいチベットカモシカの姿に感情移入させるような自然賛歌、登場人物との人間的交流などは一切排除されており、最後の方はどれが隊員だかどいつが記者だか見た目じゃ分んなくなるくらい。
が、この徹底してブレない映画としての冷静な姿勢は、かえって圧倒的な説得力を生み淡々とした流れにたとえようもない現実味を与えました。
好きとか嫌いとかをはるかに凌駕する作品。出会えてよかったです。