さて、本田武史さんがラジオのゲストに来て下さった続き。
実は本番前、スタジオのデスクについて、さぁそろそろ始まる!というタイミングに「それってウィキペディアですよね」と私の手元にある資料を指差す本田さん。
はい、と答えると「そのなかに間違いがひとつあるんですよねぇ」とおっしゃる。
「どこですか」と尋ねると「僕のプログラムに<仮面の男>というのがあるんですけど、そのウィキだと振り付け師がリー・アン・ミラーとなってるんです。けど本当は違うんですよねぇ」
えええええ、私もずっとそうだと信じていました!
フギュアスケートのファンでない人にはどうでもいい話かもしれませんが(笑)、ファンにとっては「誰がそのプログラムを振り付けたか」というのはとても重要なこと。
「それ、本番で是非訂正してくださいよ、ファンのためにも」とお願いして番組中に本当の振り付け師のお名前を発表していただきました。
98-99シーズン、日本人初のクワドルプルを決めたFS「仮面の男」はヴィクトール・ペトレンコと彼の奥さんである二ーナ、そしてペトレンコのコーチであったガリーナ・ズミエフスカヤ3人の共作ですってよ、奥さん!
いやぁ、これだけでも本田さんをゲストに呼んだ甲斐があった(笑)。
これでかなり肩の荷が下りたのか、軌道修正は番組店長のひぐちくんに任せ(笑)、フルスロットルでマニアックな質問全開モード。
結構若い時からの彼の演技をVTRで撮り溜めしてますからね。
実は昔の衣装を今でも着まわししているのを私は気がついていました。
そこで衣装のお話をば。
「結構、物持ちいいですよね?衣装とか」
すると本田さん、「全日本優勝するまでは母が縫ってくれてました」というご返事。「実は昔の衣装は何回も縫いなおして使っているんです」と教えてくれました。
そうだったのか~。
続いてはあの名プログラム「アランフェス協奏曲」の曲は誰が選んだのか?という質問。
答えはコレオグラファーのローリー・ニコル。
選手によって曲選びは様々らしいのですが、彼の場合はいつも結局は振り付けの先生が持ってきた曲に落ち着いたそうです。
アランフェスの時は聴いた瞬間に「これだ!」と即決。
あの曲に関しては、審判や観客にアピールするというよりは、ずっと曲の風景を思い浮かべて滑っていたのだとか。
イメージは孤独で寂しい兵士。
五輪の時の演技があまりにも素晴らしく、そのことを伝えたら「あの時は本当に曲に気持ちが入り込んで、観客も同じようにその世界観にいるのが分り嬉しかった」ということを話してくださいました。
私は今でも時々、このソルトレイク五輪の<アランフェス>を観返すことがありますが、その度にラスト近くの素晴らしいイーグルと最後の最後、感極まったような本田さんの表情に胸が熱くなります。本当に名演技。
思えば、その時の本田さんはまだ21歳。
翌シーズンではクワドを1つのプログラムに3回入れて成功させるなど、本当に先が楽しみで、(ちなみに自分はそのシーズンのSPのレイエンダが大のお気に入り)次のトリノ五輪では絶対に彼がメダルを取るのだと信じていたほどです。
まさかその後怪我のためにトリノ五輪の前に、25歳という早さで引退なさるとは想像もしていませんでした。
25歳といえば、プロ野球なら若手も若手、まだまだレギュラーにもなれずにいても普通の年齢です。
「 小さいころから滑ってますからね、みんなどこかしら怪我と隣り合わせです」とご本人はさらっとおっしゃる。
けれど、優雅なイメージとは裏腹に、フィギュアスケートというのはなんと過酷なスポーツでしょうか。
今は関西大学で、長光歌子コーチのアシスタントとしてたくさんの生徒さんを教えていらっしゃる本田武史さん。
生徒さんは入れ替わり立ち替わりでも、自分はひとり。長い時は朝5時から夜の9時までずっと リンクにいるという日もあるのだとか。
当然、身体が冷えるので4,5枚は重ね着して持ってきた暖かいコーヒーでしのぎ、あとは「まだ動けるので」なるべく動いて見せるそう。
今の日本男子の活躍はほんとうに目覚ましいですね、という振りには、「先輩がいたから僕も頑張れました、それがあったからこそ次につながり今の日本があります」という言葉で締めてくださいました。
この先、本田先生が育てた選手たちが大きな舞台で活躍することを心からお祈りしております。
そうそう、3歳になるお嬢さんはどんなに泣いていてもTVでフィギュアスケートが始まるとピタっと泣きやんで、じっと画面に見いるのだとか。
お誕生日のプレゼントにとうとうスケート靴をプレゼントしたそうで、ファンとしてはつい、将来の「本田選手」に胸弾ませてしまいます。
色々なお話を、本当にありがとうございました。