黄秋生の葉問に酔いしれない人がいるのでしょうか
あの黄秋生(アンソニー・ウォン)がイップ師父を演じるというのを聞いた時からすごく楽しみにしていました。結論から言うとね、すごくよかった!
感想に行く前に、まず確認事項から。
世間ではどうやら『グランド・マスター』を除いた(これはイップ・マン映画というカテゴライズはそもそもしにくいですね)イップ・マン映画4作を一連のシリーズと思っている人が意外と多いようなのですが、それ違いますから。
2008年 イップ・マン序章(第28回香港電影金像奨 最優秀映画奨受賞作品)
監製:黄百鳴(レイモンド・ウォン)監督:ウィルソン・イップ 主演:ドニー・イェン
2010年4月 イップ・マン葉問
監製:レイモンド・ウォン他 監督:ウィルソン・イップ 主演:ドニー・イェン
2010年6月 イップ・マン誕生
監製:洗國林(クォック・ラム・シン)他 監督:邱禮濤(ハーマン・ヤウ)主演:杜宇航(デニス・トー)
2013年 イップ・マン最終章
監製: 洗國林他 監督:ハーマン・ヤウ 主演:アンソニー・ウォン
と、並べてみれば分る通り、序章葉問と誕生最終章は同じイップ・マンが主人公でありますが、プロデューサー、制作会社がそもそも違う、別映画です。
香港映画に慣れていれば、キャストがかぶっていてしかも違う役、とか、メガヒットした作品が出た途端日を置かず次々に同じ題材で何本もの便乗映画がいろんな会社で作られることに驚いたりしないでしょうが、日本の感覚では理解しにくいのかもしれません。(また日本の配給会社が4本とも同じためシリーズとしてわざと誤解されるような宣伝をしたのも背景にはありますね)
しかし、後発にあたる洗國林版イップ・マンが香港によくある便乗映画と言ってしまうと、それはちょっと違います。
というのも、誕生と最終章のプロデューサーである洗國林という人物が、リアル葉問師傅の御子息葉準(イップ・チュン)さんの弟弟子で現在、詠春聯会副会長(会長・葉準氏)という「本物」であるからなのです。今年亡くなった劉家良(ラウ・カーリョン)師傅の葬儀でも、流派を超えた獅子舞とともに稽古着で表演をもって送り出す中のひとりとして姿がありました。
そもそも、この方、子供の頃から武術(詠春、洪家拳、太極)を習っていた武術家とはいえ最初から映画畑で生きてきた人と違い、本来は若くして金融界の花形として名を馳せ財をなしたお人(現・香港第一信用財務有限公司CEO)。そんな彼が2008年のレイモンド・ウォン版ドニー・イェンの『イップ・マン序章』に出資しまた詠春聯会として協力したことが、直接映画へ関わる第一歩となりました。
「わたしたち弟子が思う葉問師父と詠春拳」
その思いは香港で詠春拳を学ぶ門徒、まして直系の弟子であれば尚更強いものでしょう。
序章に関わったことで彼が何を感じたかは分りませんが、「ならば自分らで作っちゃえばいいんじゃん!」とばかりに映画制作会社を買い上げ芸能事務所も作り(デニス・トーはここの所属)誕生、最終章、という作品を(他には『秋瑾 ~競雄女侠~』もある)世に送り出しました。当然、誕生の梁小熊(トニー・リャン)最終章の李忠志(ニッキー・リー)とともにプロデューサー自ら動作指導に名前を連ねています。
そんなお人が作った晩年の葉問師父を描いた映画です。これを期待せずにおられましょうか。
主演はアンソニー・ウォン。
よくぞ彼をイップ・マンに抜擢しました。またそれにきちんと応えた秋生さんも心底素晴らしい。当然秋生さんは武打星じゃありません。だからアクションは正直それほど期待していませんでしたが、いやいやいや、すごい、すごいよ。びっくりした。
劇中、新聞記事に書かれた大袈裟な記事として誇張された葉問の闘いが再現されています。その記事では葉問は一撃で数人の男を吹き飛ばし、何人もの頭の上をふわりと飛び越えたりする。まるで武侠映画の主人公のように。
このシークエンスは、武術家でありまたこの映画のプロデユーサー武術指導でもある洗國林の既存の功夫映画に対する強烈な皮肉が込められていたのかもしれません。
それと対極をなすかのように冒頭、香港に出て来て尋ねた先の男(サモハンの息子、洪天明/ティミー・ハン)にせがまれて葉問が新聞紙一枚の上で手合わせをする場面があります。
二つ折りにした新聞紙の上に立ち相手をかわし同時に攻撃する葉問師父の、これこそが詠春拳の真髄であると言わんばかりの動き。それにまず痺れましたし、また、そのシーンを堂々やってのけた秋生さんには心からの賞賛を送りたいと思います。
そしてそれ以上に、人としての葉問の生活感や弱さなども表現しつつ、枯れていながらも男としての色気もうっすら滲ませる彼のキャラクターには感心しましたよ。あらためて素晴らしい役者です。
脇を固める俳優陣もよかったですね、元スタントマン(たしかラウ・カーリョンの劉家班だったような記憶)でスタントマン協会の会長も務めたことのある曾志偉(エリック・ツァン)。彼のアクションを自分は初めて観ましたが見応えがありました。そして安定のくまきんこと熊欣欣(ホン・ヤンヤン)や盧惠光(ロー・ワイコン)、鍾欣桐(ジリアン・チョウ)袁詠儀(アニタ・ユン)もよかったし、なによりパン・ホーチョンの『ドリーム・ホーム』のあのヌード担当だった周楚楚(チョウ・チュウチュウ)が想像以上に素敵でした(病気時のメイクはどうかと思ったけど)。チャイナドレスとケバい化粧が似合う、さすがスタイルいいわぁ~。
でも一番気に入ったのは小春だ小春。当時の香港の苦悩と現実を一気に背負ったみたいな役を演じた廖啓智(リウ・カイチー)と陳小春(ジョーダン・チャン)。なかでも警察官を演じた小春の常に困ったような顔は強烈な印象を残しました。そういえば、誕生に続き今回も葉準師傅がちらりと登場してます、どの場面かはお楽しみに。んで当然のように馮克安(フォン・ハックオン)もいたよ!
なんだか全くうまくまとめられませんでしたが、内容に関してはグダグダ私が書くよりは、まずは観て頂ければ、と思います。佇まいもさることながらイップ師父の台詞ひとつひとつが、たまらんほどいいのです。
とにかく、その時代、もう二度と戻ってはこない香港や武術に対するノスタルジックさ、そして登場人物に対する愛情にあふれたとてもいい映画でした。大好きです。
さて、今後もイップ・マンを主人公にした作品は作られていくことでしょう。
TVでは鄭嘉穎(ケヴィン・チャン)主演でドラマ化もされました。
来年2014年にはシンガポールで舞台、ミュージカル『イップ・マン』が上演されるそうです。準備段階では音楽を川井憲次さんが担当するという噂もありましたが、昨年川井さんにメールでうかがったところ「僕にもよくわからなくて(笑)」とおっしゃっていたので、その件は多分制作側がフカしたみたいです。
そして、現在頓挫しているレイモンド・ウォン制作、ウィルソン・イップ監督ドニー・イェンの『葉問3』もいつになるかは分りませんが、将来絶対に撮るはずだし、時間が経って映画界がネタ切れになった頃合いにまた別の会社、俳優、監督、ストーリーで葉問作品は作られることでしょう。
映画において黄飛鴻(ウォン・フェイホン)と近いクラスのアイコンになってしまった以上、その流れを止めることは誰にもできません。
だからこそ、洗國林は地に足のついた葉問のものがたりを、李小龍との関係もふくめ早いうちに作っておきたかったのでしょう。その意図は充分すぎるほどに伝わりました。
どの葉問が決定版かは我々観客が勝手に思うこと、でも一つ言えることは、葉問はこうでなくてはいけない、と頑なに決め付けるのはすごーく損する事に繋がりかねないし、と同時に今までのも、そしてこれからのも、どれひとつ史実に完全に忠実な葉問を描く映画は決してない、ということは言えるのかもしれません。アイコンになったということは、そういうことでもあります。
最後になりましたが、最終章の日本語字幕でひとつだけ残念だったことが。
弟子が師父について書かれた新聞を読みながら「師父、“葉門”って書かれてる!」と植木に水をやる葉問の背中に言う台詞。それを聞いた師父が思わず手を止めてむっとする。
字幕では、カタカナ表記だったので「イップ・ムォン」になってる、となっておりました。これはかなり残念。日本でも葉問を葉門と書いてしまう人が多いところ、実は香港でもそうだったんだと予告で自分は笑った場面だったので。
↓その予告
《葉問-終極一戰》國藝影視 英皇電影HKIFF 開幕電影 1 分鐘預告片
「イップ・マン 最終章」 予告篇(日本語字幕)
ドニー・イェン版のレビュー
イップ・マン 序章
イップ・マン 葉問
『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その1
イップ・マン小ネタとイップ・マン3、MOVIX三郷『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その2