男をうまく描く監督というのは世の中にたくさんいますが、女性を、現代ものでしかも等身大に上手に描く男性監督というのはいそうでなかなかいない。
『恋の紫煙』シリーズを観ていてもパン・ホーチョンはそれが本当にうまい。
今作は女性脚本家の(彼女は舞台畑の人で実はたくさんの脚本を手掛け舞台女優でもある)黄詠詩(ウォン・ウィンシ)と一緒に書きあげたそうですが、いやそれにしても映画は監督のもの、素晴らしい。
主役の2人の女優、香港の鍾欣桐(ジリアン・チョン)と大陸の陶紅(タオ・ホン)が、とにかくめちゃめちゃ魅力的。衣装もよかったなぁ。
お話はひとりの男ケン(演じるのは呉彦祖、ダニエル・ウー)を巡る元カノ(ジリアン)と現カノ(タオ・ホン)の不思議な出会い。
元カノから付き合ってた時に撮ったベッドの写真を彼がネットにアップしちゃったの、それで教師の職もクビになったし保存されているはずの他の写真を消去すべく手伝ってほしいんだけど、と頼まれる現カノ。
流されるように手を貸し秘密の共同作業を進めるうちに、ゆるやかに芽生える2人の女の間の友情。
こういうストーリーの場合 男と現カノと元カノ、誰か一人は嫌な奴に描かれることが多いのですが、この作品の場合「そうきたか!」というラストの衝撃を受けてもなお、誰も嫌いになれないところが大変よいです。
つまりは作ってる側が彼女や彼に愛情があるってことですよね。簡単そうで実は一番難しいことですし、なにより作る側の人柄もでるのじゃないかと思ったりします。
私はジリアン・チョンが大好きです。いい女優さんだと思います。ふとした表情がとてもいい。今度公開される『イップ・マン 最終章』にも出演してますからね、楽しみです。
さて原題の『公主復仇記』の公主とはお姫様という意味。直訳するとお姫様の復讐記ということになります。なぜお姫様かというとそれは映画を観ればすぐ分るようになっている。
パン・ホーチョンの特徴として過去と現在の時間軸の交差が巧みなこともひとつかと思います。
『ドリーム・ホーム』もそうでしたし、『低俗喜劇』でもそう。『恋の紫煙』シリーズはあからさまなカットバックはありませんでしたが、日にちのキャプションをうまく使うなど、時間に対する本能的なセンスがうまく活かされていました。
今まで観た中ではこの作品がその特徴を一番上手に発揮できていたのではないでしょうか。
とにかく2人の女優が驚くくらいチャーミング、そしてケン役のダニエル・ウーもどこか憎めない人物として描かれていてすごく魅力的な作品です。
ビヨンド・アワ・ケン(公主復仇記)予告
監督の映画は音楽のチョイスが素晴らしくイイのも特徴ですが、この映画ではとにかくこの曲の使い方がよかった。↓
Gianna Nannini – Amandoti (con testo)
こちらはオムニバス映画。前作『出埃及記/出エジプト記』(東京国際映画祭でのみ上映、日本未公開)を作ったあとの反動もあったというこの作品、女性の描き方にちょっと?と思っていたら脚本は共同ではなくおひとりで書いたものでした。なるほど。
正直、まぁおもしろいのと「早く次いこう次!」と思ってしまうのとバラバラ。
一番よかったのはイーソン・チャンのパートかな。こいつが結婚してやがて『ドリーム・ホーム』のあの男に・・・・いや、ちがいますから。
あとジリアン・チョンと鄧麗欣(ステフィー・タン)のパートでは、1993年に亡くなった歌手、陳百強(ダニー・チャン)への思い入れがグッときました。自分は彼の曲を少ししか知らないけど、それでも数曲もってるもんなぁ。ジリアンのダンナ役の整備工役の麥浚龍(ジュノ・マック)はもんのすごい富豪の息子で実はボンボンなんだとか。
さて個人的見どころは馮小剛(フォン・シャオガン)が殺し屋のマイルの説明に行く相手が作曲家の金培達(ピーター・カム)だったという部分。わはははは、胡散臭かったわ~。向こうの人はほんと芸達者。
やはり女性が魅力的でないと男性も引き立たないもので、特に男女のことを描くとなると尚更。そういう意味では「おおパン・ホーチョンお前もか・・・」とも思い、また反対に名作での女性脚本家の占める比重の大きさにしみじみし、またそれを受け入れて上手に出力することが出来る才能を再確認した気がいたしました。
破事兒 (預告片)←予告がいちばんおもしろいのかも。
ファンの人には「もっと名曲があるやろ!」と怒られそうですが、自分が一番よく聴いた彼の曲はおそらくコレ↓
陳百強-天才白痴夢
夏休みの宿題(1999年・香港)
普段あまり有名監督の初期の短編とかって自分は観ることはないのですが、やはり興味深いものですね。同じように夏休みの宿題を最後の最後まで残してるタイプだったので、あの子の気持ちは痛いほど分りました。全編を通してセンス、展開、映像、オチもホーチョン監督節が冴え渡っておりましたよ。