葉問 / (邦題)イップ・マン序章 香港DVD鑑賞のちに劇場で日本語字幕版―ドニー・イェン 甄子丹


川井憲次さんは、アニメや映画でおなじみの人気作曲家。
ドニー・イェンの映画ではツイ・ハーク監督の『セブンソード』やウイルソン・イップ監督の『かちこみ!ドラゴン・タイガーゲート』の音楽も担当しています。

常々、そのドラマチックなスコアは素晴らしいと思っていましたが、この『葉問』では心から痺れました。この映画はそれ自体に大変なパワーがあるのですが、この川井氏のスコアは正直この映画を2割増しに底上げしたと断言してもよいでしょう(あかん、それでは10割をこえてしまう、ま、いいか)それほど最高の仕上がりです。
サントラ買おうと思って調べたら残念ながら香港でもすでに廃盤とか。なんでや~。

この先、葉問が香港中国の映画界で不朽の名作として語り継がれることは間違いないことですが、川井さんのこのマエストロのテーマも恐らくはずっと愛され続ける名曲として、長くたくさんの人々の心に残ることになると信じています。

と、いきなり音楽の話から入ってしまいましたが、もうね、正直、なにから書いていいのかわからないのですよ。
ひとことで言うと、ドニーさん、この役に巡り合えてよかったね、としか。

葉問が香港や中国本土で大ヒットし、香港金像奨の作品賞を取ったこと。それ以外でも数々の賞に輝き彼の最大のヒットになったことや、むこうで空前の詠春拳ブームを巻き起こしたことも、つたない中国語や英語でニュースを読んで知ってはいました。
でも肝心の映画を観ていない私は、日本公開をあてにすることはやめ、ついに思い切って香港から英語字幕つきのDVDを取り寄せたわけです。

川井憲次さんの重厚なテーマ曲にのってまずスモークのなかから最初にあらわれたのは詠春拳で練習に使う木人樁(もくじんしょう)。
この『木人樁』いうものをこんなにマジマジ眺めるのは、かつて『スパルタンX』で成龍とユン・ピョウが朝起きてすぐに練習を始めたシーンと、その名の通り『詠春拳』というタイトルの映画(監督、ユエン・ウーピン)でミシェル・ヨー姐さんの自宅の中庭にある木人を山賊の親分がぶっ潰すのを見て以来でしょうか?

やがてその木人を、ドニーさんがカンカンとリズミカルに打つショットが重なってゆきます。
始まってまだ2分も経ってないのに、あかん、それだけでもう胸がいっぱいだ。なんという泣かせるメロディなんだろう!川井憲次!

そしてゴ―――――ンという鐘の音を合図にタイトル。
場面が変わって佛山、武館街のショット。新しい道場の開館祝いの爆竹が弾け獅子が舞う。
たくさんの道場が立ち並ぶその広場でそれぞれの師匠や弟子たちが稽古に励んでいるなか、ひとりの師父が「やれやれ、また商売敵がきたか」と苦虫をつぶしたような顔でつぶやく。そりゃそうですよね(笑)。

そんな武館街上空を横切るひとつの凧。やがて遠く遠くを漂いながら、あるひとつの邸宅の庭木に引っ掛かります。
そこへ、執事に促され、先ほどオープンしたばかりの道場の師匠がその邸宅の玄関を入ってくる。
家族は食事中。
執事に声を掛けられたその家の主人が振り返ると、それは茶の絹の長袍に白いパンツ姿のドニーさんじゃぁありませんか!
ちょ、ちょ、ちょっと見ないうちに顔や表情が変わったんじゃ、ドニーさん!

そんなことを思う間もなく道場主から手合わせをお願いされる主人公、葉問。
豪華な邸宅の玄関先で待たされる彼に「ところで、食事は済みましたか?よかったら一緒にどうです?」とその家の主人が見せる資産家だからこその鷹揚さ。
奥さんは少し不満げ。この夫婦のコントラストは今後の映画のひとつのキーポイントにもなってきます。

しかしそんな奥さんのリアクションもなんのその。
結局一緒に食事をさせてしまう葉問の大らかさはその後の師匠との手合わせでもいい具合に発揮され、軽くいなすかのように相手にも寸止めで対応。強い、強いよドニー、いや、葉問さん。

作りこまれたセット衣装といい、主人公の性格や家族との関係を短時間で切って見せる鮮やかさや、最初の手合わせまでのテンポといい、短時間ですが、もうこれだけで、すでに名作の予感。

そして前半のハイライトはルイス・ファン演じる道場破りとの自宅での一騎打ち。
ルイス・ファンの北方拳法の力強さとドニーさんの詠春拳のエレガントさの対比を、ユーモアを交えながら見事に演出したサモハンの素晴らしいコレオグラフィー。
これには思わず「ブラボー!サモハン!」とモニターの前で喝采。

ここまで観て、実は自分、少し不安になってDVDのパッケージを見直してしまいました。
あらかじめ知っていたこの作品の内容が<日本に侵略された佛山で困難に立ち向かい誇りを失わない男の物語>だったので「まさか違う映画じゃないだろな」と心配になるほどの、そこまでは、めちゃ明るいトーンだったからです。
しかし、そんな明るい雰囲気も日本軍の出現とともに一気に色を失い、一転して世界は荒廃した白黒のトーンへ。うまい、イップ監督。

ここからあとのハイライトは間違いなく「1対10の闘い」です。

日本軍に自宅を没収され極貧の暮らしを強いられた彼は、家族のために「初めて」働きにでます。
その炭鉱で募集していた日本軍の空手家との試合に理由あって参加する葉問。
そこで知ったのは、同じ街の元警察官が日本軍のために働いていてそういう中国人もいるのだという事実と、自分の年若い友がその試合で殺されたこと。
そして目の前で彼は見てしまうのです。試合をめぐり理不尽にも命を奪われる、あの日に手合わせをした武道館の師匠の姿を。

怒りに震える葉問は日本語通訳を務める元警察官の男に向かって叫びます。
「次は私だ!ここを開けろ!」そして二階からその試合を眺めていた池内博之扮する将校にこう宣言するのでした。
「我要打十個!(私は10人と闘う!)」と。

ここからの闘いは凄まじいのひとことです。
それまでの葉問は決して相手を傷つけるような試合をしたことがありません。
どころか、道場を開く気もなく「弟子にしてくれ」と頼む街の人達を断り、やむなく試合をする時もドアを閉め「詠春拳は門外不出の拳法」とばかりに誰にも見せたがりませんでした。

彼にとっての詠春拳とは、今までもそしてこれからも、ひたすら自分の心と技を磨くためのものだったのです。

それがこの時ばかりは、葉問もそんな自らの哲学も忘れ去るくらいに怒りに身体を震わせて、次々に迫る空手家たちをなぎ倒してゆきます。
最初の男の顔を踏みつけ、また別の男の腕を折ったかと思ったら違う男の股関節を「こきゅ」と粉砕。
目にもとまらぬ速さの連打で空手家達を畳に沈めると、最後に残った怯えるひとりの頭を抱えてその顔をひたすら打ち続けます。ひたすら、ひたすら。力を込めて。

これがあの、他人を尊重し大らかで心優しかった同じ葉問なのでしょうか?

こんな悲しい憤怒をまとったアクションを私はかつて見たことがありません。
その姿にはどうしても押さえることができなかった、心からのやるせない悲しみと怒りが満ちていて、それを観ている私の目からは、本来ならば彼が流すはずの涙が一粒、また一粒とこぼれ落ちてきたのでした。

しばらくして、最後の男が動かなくなると彼はやっとその男の頭から手を離します。
一瞬にして訪れる深い静寂。
10人の男達が倒れている道場の真ん中で佇む彼の手には、今までつけたことのない「闘い」の傷がたくさん刻まれていました。闘いの終わった後もまだ震えている、自分と相手の血が混じり合い滲んでいる葉問の拳。

これを功夫映画の傑作と言わず、何が傑作でしょうか。これはこの先ずっと功夫映画の名場面として語り継がれるシーンになりうると私は確信しました。

「俺の一番すごいところは、まず役から入ってアクションをやるところだな」
彼のアクションになぜ説得力があるのかを、長年信頼を置いている谷垣健治さん(日本や香港中国でアクション監督として活躍中の有名なお方!)にドニーさんが語ったと、彼の映画秘宝コラムで読みました。(谷垣さんいわく、「俺の一番すごいところは…」から始まるのが、いかにもドニー(笑)なんだそうな)
これはまさにそんなアクション俳優ドニー・イェンの真髄がつまった場面だと断言します。そんな場面を彼が演じ、そしてまた自分が観ることが出来たとは、なんという喜びでしょうか。

しかし、葉問が敵を10人倒したところで素手で倒せる人数には限りがあり、なくした命は戻ってこない。
帰宅した彼は、傷ついた自分の拳を何も聞かずやさしく消毒する妻にポツリとつぶやきます。
「私は今日、自分が何の役にも立たないんだと思い知った、何も出来ない。今までずっと功夫を稽古してきたけど、それが何になる?」
このシーンでの彼の演技にはうるっときました。ドニーさんたら、ちょっと見ないうちにいつの間にこんな演技派に…(涙)。

妻はそんな夫の手をいたわりながら、こう答えるのです。
「あなたがいて私がいて、息子がいる。それだけで私は幸せよ」
く~泣かせるじゃねーか奥さん!これが「あなたは武術ばっかやって息子のことを構ってやらないのね!キィ~」と前半怒ってばかりいた人と同じ女性でしょうか。逆境はこの夫婦のきずなを深くしたのでありますね。

とにかく、この作品は葉問をはじめ、登場する人間がよく描けています。

通訳をするラム・カートンは中国人のダークな部分を表す立場ですが結果ただの売国奴じゃないし、親友のヤムヤムことサイモン・ヤムも味わい深い。
ヤムヤムの息子はじめ工場の従業員達はやたらと和むし、道場破りのルイス・ファンは、中国側の嫌な部分を背負った役柄だったけど、彼のあの明るい顔とぱっちりな目、そしてやたらデカイ声はその嫌な部分を緩和するのにとても最適でした。

この作品が日本で公開されない理由は反日的な要素が強いからと、本当かどうかわからないことですが一時まことしやかに囁かれておりました。

しかしいざ見てみると「自分にとっては」心の痛む場面はあるものの、激しい拒否感などはありませんでした。
もちろん、日本軍は葉問達から見れば侵攻してくる悪ですが、この映画では中国人もまた同じ中国人を騙し恐喝し同国の弱い者から搾取しようとする姿も描かれています。
どころか池内博之さん演じる将校三浦は、心底武術が好きな人にも見えたくらい。よくぞあのラストバトルを頑張ったと感心しました。サモハン指導でドニー相手にさぞプレッシャーも強く大変だったことでしょう。

一方日本の嫌な部分を一手に引き受けたのは渋谷天馬さん演じる佐藤。観ていて心底憎らしくなるほど演技がうまかった、これはすごいこと。声がとっても良かったのが印象に強く残りました。

資本はともあれ、私はこの作品を香港映画と認識しています。
香港功夫映画と言えば清朝時代を舞台に常に満州族を鬼みたいに描いてきた過去があり、それで成り立ってきたのです。今更誰が敵だとか気にしていては観る映画を間違えてしまいましたねとしか言いようがありません。

とにかく、葉問が素晴らしい功夫映画であること、そしてドニー・イェンの代表作となったことに間違いはありません。
この映画はようやっと中華スターダムのてっぺんに彼を押し上げました。

向こうでは彼のアクションのことを、ただのアクションでも功夫でもなく、敬意をこめて「甄子丹功夫」と呼んでいるそうです。
「名実とも」に「甄子丹功夫」と言われるようになった、このドニーさんの成功を一ファンとして心から喜ぶばかりです。

 

劇場鑑賞後追記
自分の好きな映画をスクリーンで、まして日本語字幕で見られるって本当に幸せです。
空手10人のシーンはまたホロリと泣いてしまいました。上には書きませんでしたが、綿工場でのアクションもリズムに緩急があり、敵味方関係なく登場人物のそれぞれの感情がこもった完成度の高いものでした。
しかし、相変わらず長い棒を持たせたら最強ですな、ドニーさん。

と、同時に葉問が工場の人達に詠春拳を教えるシーンも胸熱です。
当然川井憲次氏のスコアの素晴らしさもありますが、なぜ、あんなにあの場面に胸が熱くなるのでしょうか。
それは多分、葉問が「自分は何の役にも立たない」と絶望した先に「自分にも出来ること」を見つけたからなんだなぁと、大きなスクリーンであらためて感じました。素晴らしいシーンです。

イップマン序章DVD&BD
(川井憲次さんのインタビューもあります)

川井憲次さん公式サイト
川井憲次公式サイト

葉問オフィシャルサイト/簡体中文、繁体中文、英語

エンターテイメントsina葉問特集サイト

Ipman USオフィシャルサイト
Trailer en Espanol€”Ip Man”(師父がスペイン語を!)

葉問2/(邦題)イップマン 葉問 香港版DVDのちに劇場にて日本語字幕版-ドニー・イェン 甄子丹
MOVIX三郷8周年記念特別企画・『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その1-ドニー・イェン 甄子丹
イップ・マン小ネタとイップ・マン3、MOVIX三郷『イップ・マン 序章』『イップ・マン 葉問』100円上映会!その2-ドニー・イェン 甄子丹  

カテゴリー: film, music, 功夫映画, 甄子丹 タグ: , , , , , , , , , , , , パーマリンク