2013年、6月25日。
出張先で仕事を終えてホテルに戻ったところ、何本かのメールが入っていました。
「劉家良が亡くなったよ」
御身体の具合が悪いことは知っていました。遺作となった2007年「セブン・ソード」も確かガンを克服して初めての出演作だったはず。その後、2010年の香港金像奨で「終身監督賞」を受賞した時に見せたのが、最後の公の姿だったでしょうか。
なんだかとてもうまく言えません。
ガンだったし、長い間映画界に復帰する様子もないし、まして義弟の劉家輝が病に侵され大変な苦労を強いられているなかでもコメントはおろか影すら感じなかったので、ご本人もひょっとして相当悪いのでは?と薄々予感しておりました。
享年79歳。
この人がいなければ、香港の功夫映画はまったく違ったものになったでしょう。
それほどの発想と影響を後にあたえた映画人です。
香港映画界、いや、世界のアクション映画に多大なる功績を残したお人でありながら、ご本人は終生映画人ではなく「自分は武術家である」と言い続けたと、キングレコードのショウブラシリーズの特典映像インタビューをした中田圭監督や、フリーマンオフィスの筒井さんから伺ったことがあります。
私は師傅の映画が、彼のコレオグラフィーが大好きでした。
あの名匠チャン・チェの映画があれほど光り輝いたのも、武術指導を務めた劉家良師傅の偉業があってこそ。
そもそも、それまでは女性が武術(というか牧歌的な武術)を披露していた香港功夫映画において、1949年に第一作が公開された関徳興の黄飛鴻シリーズが、初めて男を主役に描いた功夫映画だと言われています。
その黄飛鴻シリーズの武術指導をしていた父親の劉湛(ラウ・チャム)を手伝うために映画界に入ったのはわずか16歳の時でした。
まさに功夫映画とともにあった人生とも言えるでしょう。
父親の劉湛は言わずと知れたあのリアル黄飛鴻の直系の孫弟子。なので劉家の長男である師傅も同時にバリバリの武術家でもあるわけで。
ああ、一杯言いたいことがあるのに、うまくまとめられない。
そのうちに時間が出来たらゆっくり書きたいと思います。
今はただ、本当の意味での一代宗師であり、また功夫片的巨人でもある劉家良師傅に心からの哀悼の意を表します。
カンフー映画の巨匠、劉家良が死去
攜女庵堂小住 翁靜晶茹素誦經悼劉家良
刘家良24日出殡 遗孀成立“刘家良电影基金”
劉家良7月23日設靈 靈堂橫蛹セ《一代宗師》
劉家良師傅に関するレビュー
ワンス・アポン・ア・タイム 英雄少林拳 武館激突(1981年・香港)
掌門人(1983年・香港)
マジッククンフー神打拳(1975年・香港)
映画 少林寺VS忍者(1978年・香港)
新・片腕必殺剣(1971年・香港)
阿羅漢 南北少林(1986年・香港、中国)
上海ドラゴン英雄拳(1972年・香港)
飲む前にヘパリーゼ
飲む前にへパリーゼ②
蔵出し功夫映画特集
映画 少林虎鶴拳(1977年・香港)
映画 嵐を呼ぶドラゴン(1974年・香港)
映画 大女侠(68年・香港)
映画 ブラッド・ブラザース 刺馬(1973年・香港)
映画 レディークンフー激闘拳(1980年・香港)&超酔拳(2003年・香港)
映画 秘義・十八武芸拳法(82年・香港)
劉家良師傅。
功夫映画を積極的に観るようになってまだ日が浅い私は、
動く師傅の姿は「セブン・ソード」でしか拝見していないのですが、
飯星さんのレビューをひとつひとつ読みながら、師傅が長年、香港映画界のセンターを張っていたことを実感。
また、谷垣さんの著書で、香港スタントマン協会を立ち上げた方であることを知り、アクションに携わる人たちの立場をきちんと保障しようとする、優れたリーダーとしての側面も持っているのねと、しみじみしていたところの訃報。
とんでもなく偉大な方が亡くなってしまったのだなと思わざるを得ません。
いつか「じじいドラゴン2」(やるかどうかはわかりませんが)に出ていただきたかったです。
本当に残念です。
そうですね、知れば知るほどすごいお人ですねぇ、劉家良。
パラマウントからちょうどショウブラシリーズが再販されることもあり、観る機会が増えることは素晴らしいことですね。
是非、この機会に色々ごらんになってください!私も足りないものを揃えたいと思います。