文楽 八陣守護城

先日、友人Tさんと国立劇場に文楽を観に行きました。実は劇場で文楽を観たのは初めてです。

出し物は「八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)」と「契情倭荘子(けいせいやまとぞうし)の蝶の道行」。
八陣守護城は、初演が江戸時代の文化4年。本来の主人公はあの豊臣秀吉へ忠義を尽くした武将、加藤清正です。
しかし当時は時の政権江戸幕府に関する批判や豊臣秀吉はじめとする豊臣家に関することを上演するのはご法度。けれどお上の目をかいくぐる方法はいくらでもあったようで。誰が見てもこれは!と分る人物でも名前をちょいと変え時代設定を少しいじったくらいでシレっと舞台にあげてしまう、というのがその頃の知恵。

この物語も、「加藤清正」の名を「加藤正清」と改変し(ひっくり返しただけやん!)時代を鎌倉に変更、主君豊臣家を小田家に、徳川家康の名を北条時政、豊臣秀頼に当たる若君を春若丸として描いております。

京の二条城で家康と対面した秀頼の、付き添い役として懐に短刀を忍ばせるという決死の覚悟で臨んだ清正。彼が無事に役目を終えた後、帰国の船の中で発病し帰国後に亡くなったことから広まった「京で家康に毒を盛られた」という俗説。これを基にこの浄瑠璃は作られていました。

当然、主人公加藤正清がみすみす毒を飲まされるはずなどなく、ここでは北条時政の重臣森三左衛門が毒入りと知りながら一緒に杯を飲みほすわけです。計略を警戒しながら、命を投げ出す覚悟の忠義にはさすがの武将も謀られたということでしょうか。

そこから中盤の見せ場は、御座船で帰国の途に就いた主人公が毒を飲まされたと気がつきつつ、様子を見に来た北条時政の使いの者に気取られぬようにと見せる豪快な振る舞いと、それをダイナミックに演出するかのように廻る船。
文楽でこの廻る道具と言うのは非常に珍しいのだそうです。そして客席に向かった舳先に立ち、大笑いを見せる加藤正清がこの物語のハイライトのひとつになります。

本当に、楽しかった!スケールの大きな物語と、見惚れてしまうような美しくも儚い人間模様。
宮仕えのトホホを醸し出しつつ、女子の選ぶ「イイ男」には今も昔も寸分の狂いがない。にしても若いカップルはやっぱダメじゃんとイラっとしながら、案の定狡猾な悪人に2人はシメシメな餌であり、そして最終的には漢の花道とはこういうもんだ!という豪華絢爛絵巻。
江戸のエンタメ、そして劇作家の発想の豊かさには激しい畏敬の念が浮かびます。本当に素晴らしいセンスと想像力を日本人てのは昔から持っていたんですよねぇ。

一緒に行ったTさんが豊竹咲太夫さんのお知り合いということで、ズーズーしくも終演後のご挨拶にくっついて行く機会にも恵まれました。
太夫、開口一番私にむかって「あなたは私の後輩ですよ!」。そう、咲太夫さんは追手門学院の大先輩でいらしたのです。驚きです。せんぱい!!!!

ご挨拶が終わったあとはお弟子さんが舞台裏を色々案内してくださいました。
とにかくこういう舞台裏というのに目のない自分。観ながら思っていた疑問をここぞとばかりに質問しまくる。

「見台はそれぞれの太夫さん、個人のものでしょうか?」
答えはイエス。盆(太夫と三味線が座る場所が回り舞台のようにくるりと回転する仕掛け)の裏にある棚には全ての太夫の見台にカバーがかけられ並んでいました。
「これも今はもう職人さんがいらっしゃらないので大切にみなさん、使われています」
美しい蒔絵が施されたのからシンプルな物まで様々な個性が光ります。今度は太夫の傍の席で一度あの見台をじっくり見てみたい。

「この盆という仕掛けはいつからのものでしょう?」
これに関しては、お弟子さんもよくご存知なかったようです。長い物語では一人の太夫、一人の三味線ということはまずありません。それぞれの段によって交代するのが常。
なのでその交代をスムーズにするために盆がくるっと廻って違和感なく交代できるというシステムです。すんばらしい知恵。
裏側を見せて頂いたら、ちゃんと手動で回すようになっていました(当り前か)。

とにかく文楽は想像以上に人手がいります。小幕を引くのに人がいるし、障子や襖も人が開け閉めするし。歌舞伎や演劇なら本当に引ける障子や襖を使いますが、人形浄瑠璃の場合は人形では開けることが出来ないので当然別の人間がその開閉を担います。裏側を見ると上にちょっと引っかけられる出っ張りがあって、そこを外して左右に動かすとしずしずとまた閉めてそこを固定するという仕組みになっておりました。

ここまできたら百年目。当然人形も見学させていただきました。
うんと昔、それこそ近松門左衛門がいたころの人形はまだ一人で遣い、今のような複雑な動きは出来なかったそうです。が、徐々に様々な動きを工夫し享保19年に三人遣いが始まると人形もそれに合わせて大きくなっていきました。今のような形が確立したのはおよそ約2百4~50年前だと言われています。

文楽のことをほとんど知らなかった自分は、一つの役でも人形が何体かあって段によって大きさが異なるものを使いわけているのでは?とぼんやり想像していました。が、驚くことに実はあれすべて同じ人形。
人形は作り置きをせず、公演ごとに役柄に応じ人形師がかしらを整え、床山(とこやま)さんが髪を結い、衣裳方の用意したものを人形遣いが着付けて仕上げるんだそうな。
これには驚きを隠せません。だって「清正本城の段」で見た鎧姿の加藤正清は明らかにその前よりずっとずっと大きく見えましたよ?
つまり真相は、同じ人形であるにも関わらず、話の展開やその動き、太夫の語り、そして三味線だけで一層大きく観客の自分が「感じた」というわけ。
この事実だけで文楽というものの凄さがご理解頂けるでしょうか?は~すごい。

人形といえば、舞台を見ているだけではほとんど気がつかないことに、人形師の下駄があります。
文楽の場合ほとんどが、かしらと右手を操る主遣い(おもづかい)、左手の担当の左遣い(ひだりづかい)、そして両足を担当する足遣い(あしづかい)の3人ひと組で人形を操ります。なので当然持ち場の高さは3人で異なってくるわけですね。そこで必要になってくるのがその高低を出すために穿く舞台下駄。
この下駄も拝見しましたが、主遣いの下駄は相当高い。15㎝近くはあるでしょうか。自分なら人形どころかあっと言う間に足を挫くでしょう、レディーガガもビックリ、そんな高さです。その底部分に音がしないようにですね、クッションとしてわらじと同じ藁で編んだもので覆ってある。

そうか~、一々理にかなっているさまざまな事実に自分は尻尾全開にした犬のようにその場で踊りださんばかりでした(笑)。
いやぁ、興味深々だった舞台裏!ご案内くださいまして本当にありがとうございました。今度から一層楽しく舞台を拝見することができます!

それにしても文楽、おもしろい、最高です。
だー、これからはなんとかして、ひとつでも多くの文楽を観たい!そう強く強く決意した次第でございます。

 

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文楽 八陣守護城 への2件のフィードバック

  1. June のコメント:

    う~ん 何だか久し振りに文楽見に行きたくなりました
    人形と目が合って ドキっとする事があるのですが
    この八陣守護城もその一つ。
    舳先に立った正清が正面に回ってくると まさに目が
    合うので人形なのに惚れ惚れした記憶が蘇りました。

    三谷幸喜さんが文楽の脚本を書くというのを聞き
    どんな作品になるのかしら…と再び 見てみたい
    気持ちが盛り上がりつつあったのですが ママさんの
    コメントで益々見たくなって参りました(笑) 

    • ケイコママ のコメント:

      おもしろいですね文楽、とても気に入りました
      それにしても東京はチケが取りにくいです
      大阪の方が比較的行きやすいようで・・・仕事でちょいちょい行くし大阪狙います

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