毎年、タイガースの交流戦を観戦するために地方遠征をするのが習わしになっています。
2011年は楽天戦を見に、5月の仙台に行くつもりでチケットを予約していました。
実は私、2年前から1年にワンクール「とうほく食文化応援団」という番組で仙台放送にお世話になっています。宮城を中心に東北の食に関する様々な分野で頑張る人や活動を紹介する番組で、今回の大震災で被害に遭った三陸沖は何度も何度も訪れています。
観戦を一緒にするのは仙台の友人です。そこで、東京からただ野球を見るために1人ノコノコ仙台に行くだけではどうよ!ということで、前乗りして個人ボランティアに参加することにしました。
どうしたらいいか解らないのでとりあえず宮城県災害ボランティアセンターサイトをチェック。そこでそれぞれの地域で個人ボランティアを募集しているところを参考にすることに。
個人ボランティアってどうしたらいいの?
多分、みんなそう思うでしょうね。私もそうでした。でも、サイトを見ればおおよその事は、すぐに分るようになっています。
私の場合、早朝東京を出ても在来線や電車の復旧していないところを代行バスで移動することを考えるとどうしてもボランティアセンター入りが午後になってしまうので午後からの参加が可能であることがひとつの条件になります。
そこで午前、午後、と日に2回募集している地域、ということでいくつか候補地を出し、そのなかの一つ東松島市災害ボランティアセンターに確認のためにまずはお電話をしてみました。当然先方のお仕事を増やすのを承知でわざわざお電話をした格好です。
しかしサイトを見ると当日の仕事がどういうものに当たるかはその時にグループ分けしなければわからない、ということだったので「参加したはいいけれど、体力がなくてかえって足手まといになること」が不安でした。「40過ぎの女性ですがかえってご迷惑になってはと思いお電話してみました」と正直にお話したら「大丈夫かと思いますよ!」という明るいご返事。この方のとても親切な対応に感激して、私はその東松島に行くことに決めました。
そこから慌ててホームセンターなどを回り、とりあえずサイトに書いてあった「持参してもらいたい物」を購入。
必要な物として表記されていたのは、長靴、マスク、丈夫なゴム手袋、ヤッケなどの水や汚れに強いウエアの上下、何かの時のための消毒液とカットバン、そして自分の飲み水、もしランチを挟む作業の場は自分のお昼ごはん、そしてその上に汚れるかもしれないので着替え、などなど。
私が買ったのは、長靴、粉塵用マスク、そして厚手のゴム手袋。
防水仕様の上下は、大昔ボーイフレンドと行った山登りの際に購入したものと一瞬だけカヌーをしていた時に作った上下があります。両方久々に出してみたところ(いやマジで久々だから!)カヌーウエアの方が防水仕様が強力そうだったのでそれを持っていくことにしました。
朝、07時16分発の仙台行きの新幹線に乗り、そこから当時在来線の仙石線でとりあえず行けるところの最終だった東塩釜駅まで。あとは代行バスで東松島市役所のある矢元まで向います。
この代行バスと言うのには初めて乗りましたが、これはJR仙石線の「代行バス」という意味なのですね(ごめん、当り前か)。なので切符はちゃんと仙台→矢元までを買わなくてはいけないのでした。何も知らない私は東塩釜までしか買っておらず、なので結局矢元駅で清算することに。
そこから道を駅で聞いて徒歩約5分、東松山市役所内のVC(ボランティアセンター)へ。
受付には矢印で「初めての方」や「経験者」と区分けがあり、私は当然初めての受付の方。そこで住所氏名や生年月日などを書いて、センターからグループ分けをされるのを待つわけです。その間に私はトイレで作業着にすばやく着替えて名前を呼ばれるのを待つ・・・のですが、着替えてやっと、防水完璧と思ったウエアが実はめちゃ派手でひとり浮いているのに気がついた(汗)。
他の人は紺や黒の地味なヤッケ、か、もしくは慣れた風情の方々等はつなぎの作業着という服装。作業が作業だから誰も気にするはずなど当然ありませんが、オレンジと紫のパッチワーク風の上下ウエア(カヌーの時には目立って安全と思った色合い)はさずがにちょっと場違いなような。
やがて名前を呼ばれて男性6名女性私1名、合計7名のグループに参加することに。
向った先は住宅街にある理髪店兼住宅。
作業は、奥の納屋にある津波に浸かった家電製品や畳などの家財道具を取り出す力仕事と、庭に積って乾いたヘドロを取り除き土嚢袋に詰めて出す、そのふたつです。
私は庭のヘドロ出し係に任命され、早速作業に取り掛かります。
ぱっと見は少し荒れたくらいの庭にしか見えませんが、掘ってみると表面はすべて泥のようなヘドロで覆われており、それをこそぐと変な匂いが立ちあがります。
すでに乾いていたので最初は気づきませんでしたが、災害直後や雨の降る日などは恐らく町中がひどい匂いだったに違いありません。掘っていると一緒に金属片やガラス、生活用品、瓶や缶など様々な物も出てきます。恐らく津波とともに流されてきたのでしょう。
私は、閉店間際の近所のホームセンターで購入した一番ちゃちい長靴をはいていたので、注意しないと変な物を踏み抜いて怪我をするなと感じました。実際、一緒に作業をしていた若い男性が結構ソールの厚いブーツをはいていたのに、漁業関係の道具でしょうか、先のとがった大きな針のようなものを踏んでしまい足を怪我した模様。
あらかじめサイトで「応急処置の仕方」を読んでいたので、「大丈夫です、あとで」なんて暢気なことを言っていた彼に、すぐに足の傷口を洗う水とあらかじめ持ってきていた消毒液、そして応急バンを渡すことが出来ました。こういう時は破傷風が怖いのでほんの少しの傷でも消毒することが大事なのだと、後から合流した女性が教えてくれたおかげです。
彼女のように途中休憩前に新たに2名が追加され、庭の方は合計4名での作業となりました。
休憩中、せっかくだからとその場にいらした方々と「どこから来たの」という話題に。
先月も東松島でボランティアしたという神奈川からの22歳と19歳の兄弟は公園でテントを張り1週間いるらしい。ほかにも関東から参加の人が結構多く、おひとり参加の初老の男性や、週末を利用して松島の温泉旅館にお金を落とすと同時にボランティアという二人組、遠いところでは大分から大阪の弟をピックアップしてマイカーでここに来た20代の男子など様々な人達が集まっています。
私のやったことは、ひたすら表面をこそいで土嚢につめて表に出す本当に単純な作業で、時間にしてもわずか数時間のお手伝いでしかありませんが、その仕事も結局は人力でしか出来ないことなのです。
しかも4人の大人がやってもやっても、4,50平米くらいの庭のほんの少ししか進まない。
今日はたまたまこのお宅のお手伝いでしたが、同じように助けを必要としているお宅は数え切れないほどあるでしょう。人が住み暮らしているところですら、こうして人力が必要であり、しかも被害の規模と範囲を考えると、全てが元通りになるなんて「一体、何年かかるのか」と気が遠くなってきます。
作業を終えて、ボランティアセンターに帰ると、センターのみなさんが「お疲れ様」と出迎えてくれるではありませんか。
こういう事に慣れてない私が着替えたりしてモタモタしていると、そのうちのどなたかが「ひょっとしてイーボシさんて、あの飯星さん?」という展開になりました。
別に知ろうが知るまいがどっちでもいいと思って1人で来ましたが、別に嘘をつく必要もありません。「そうですよ」ということになり、とたんに即席の写真撮影やサイン会が始まりました。
普段、地味に暮らしていて、こういう風に他人に囲まれるような場面には慣れていないのですが、もし喜んでくださるのなら私も嬉しい限りです。
そうこうするうちに、地図を拝見しながら近隣地域の被害やその日の状況などを個人的にうかがう機会も出来ました。
なかで被害の大きい地域の一つである石巻で家をなくし、このボランティアセンターで働いているという、ひとりの女性が話をしてくださいました。
石巻は自分もロケで立ち寄ったことがあり、実はこの目で見てみたかった地域でもあるのですが、ボランティアをするわけでもないのに見るだけでも見たいなどと思うのは物見遊山な気がして、さすがに躊躇していたのです。
けれど実際に被災された方の話を聞いていて、これは見て帰らなければいけないという気持ちが湧いてくるのを止められません。
「まだ陽もあるから行ってみようかな」とぽつりと言うと彼女が「是非見てください」となんと私を自分の車に乗せて連れて行ってくれたのです。
ニュースでは見ていました。何度も何度も見てわかっていたつもりでした。けれど、実際にこの目で見ることはなんと違う風景と経験でしょうか。
かつてそこにあったものが、すべてなくなっている光景に言葉など見つかりません。
ただ黙ってその場に立ちすくみ、手を合わせる以外に思い付く事などないのです。
道路はかろうじて車が通れるように瓦礫は取り除いてありますが、家々があったはずの場所にはまだなお、流されてきた瓦礫や廃材が山のように放置されたままになり、ただのゴーストタウン、いや、タウンですらないのが現実です。
沿岸部にあった飼料工場が破壊されその悪臭が石巻の街を今なお覆い、少しいけば坂道になっているために、たった一本の道路を隔てた「被害のあった区域」と「あわずに済んだ区域」の境がはっきりと目に見えてわかります。
家を失くし家族を失くし全てを失くした人々に較べれば「幸い」にも最小限の被害で済んだと言われてしまうかもしれない、そしてなおこの街に住む以外道のない人々にとっても、悪臭とともに様々な意味で辛い苦しい日々が続いているのだと想像できて、また新たに胸が詰まりました。
政治のことは今ここで書かずに違う機会にしたいと思いますが、人々が「普通に暮せる」ようになるには、たった一人でいい、腹をくくって決断する人物とそれを実行するお金と人力が今すぐ必要。ほんの数時間お手伝いしただけの人間でもそれくらいのことは分ります。
ここでは、これを読んで下さったなかに、もしボランティアに興味のある人がいらっしゃるなら、と仮定して最後にお伝えします。
私がたった数時間やったこのヘドロ掻きのような作業は、ずっと広範囲にわたって、これから何年にもわたって需要がある作業かもしれないと実感しました。
なので別の視点で考えれば、今行けなくても明日行けなくても構わないとも言えるわけです。数カ月後、いや数年後でも、もしあなたが東北に行く機会があるならば、その前にちょっとその県や地域のボランティアセンターサイトを覗いてみてください。
たとえ数時間の作業であっても「明日は、別のチームがきますから!」と言ってその場を後にする人がひとりでも多くなることが、どんなに大事なことでしょうか。
加えて、たとえ体力に自信のない方であっても車を運転できる方なら、どこでも多分ボランティアドライバーは必要とされていますし(車があればなお嬉し)、力のいる作業する人間を現場まで運ぶのも、ガソリンの入った車なのです。
そして現地に行けなくても土嚢袋を送ってさえくだされば、いくつもの現場で削ぎ取ったヘドロを入れるのに役立つはずです。是非、各自治体のボランティアセンターのサイトを覗いてみてください。そこではそれぞれ、今、必要な物がお知らせとしてアップされているかもしれません。
このようなことは明日、そして来年、終わることでは決してありません。
残念ながら明日ではありませんけど、私もまた必ず、あの場所に再び行くつもりです。