ヌレエフ版「ロミオとジュリエット」

この間友人とバレエダンサーのマニュエル・ルグリの話になったので、もんのすごい久しぶりに、手持ちのヌレエフ版「ロミオとジュリエット」を観ました。

これは、あの天才ダンサーであり名演出家、振付家でもあったルドルフ・ヌレエフが、最後に自身により選んだ配役で、彼が亡くなった後の1995年に上演した舞台を収録したもの。

いやぁ、改めて感激しました。

ロミジュリといえば、それこそヌレエフが初演で踊ったケネス・マクミラン演出が有名ですが、当時あの難易度の高い踊りを超えるものなどないのでは、と言われたマクミラン版より、もうひとつ複雑な振り付けをつけたヌレエフは、やはりすごいです。

自身が他の追随を許さない超絶スキルを持っていただけに、彼が演出振り付けをした古典は、それまでの女性中心の踊りから、ダイナミックさと細かい技功を生かした男性パートを新たに加えた新構成という特徴をもっています。

このロミジュリでもその個性はいかんなく発揮され、登場する男性キャラには、それぞれに目の覚めるほどの見せ場がたっぷりある。いわば男祭り。いやっほう。

エトワールは、ロミオが若き日のマニュエル・ルグリ、ジュリエットにモニク・ルディエール。
パ・ド・ドゥは、人間こんな難しいことが出来るのか!とビビるほどの超絶技巧の連続です。

それでいて、ジュリエットはあくまでも可憐でロミオは上品。ふたりとも驚くほど難度の高い振り付けを実にさりげなく踊るところが本当に素晴らしい。
バルコニーのシーンなど、終わった後はモニターの中の観客と一緒に思わず「ブラボー!」と拍手してしまったほど。

昔、本人振り付け演出でヌレエフがロミオ役、マーゴット・フォンティーンのジュリエット版を見てその技術のハンパなさにやはり驚いたことを思い出します。

が、そんなヌレエフによる容赦ない「パリオペラ座芸術監督・ヌレエフ虎の穴」で鍛え上げられただけあって、ルグリ、ルディエールの2人は、この舞台でマジ、驚愕の技術を見せてくれます。
(事実、この虎の穴、シルビィ・ギエム、シャルル・ジュド、エリザベット・プラテル、などなどビックリするほどの数々の有名エトワール&その後の世界のバレエ界をリードする人材を輩出したことでも知られております)

悲劇のラスト、仮死状態になっているジュリエットを、ロミオが抱きよせ「ああ、ジュリエット、どうしてまだそんなに美しいのか?」と嘆く場面。
この2人が行き違いで死ぬ場面は、マクミラン版での印象的なコレオグラフィーが有名。

ヌレエフバージョンも、そのマクミラン版を踏襲しつつ、一層丁寧に細かく演出されていて、ジュリエットがぐったりとしたままの状態をうまく活かした振り付けが見事です。
単純だけど、こんなにも死んだ状態を美しく踊りに仕上げるって、すごく難しいし、何より演じるほうのスキルも相当なもの。

あらためて演出家振付家としてのヌレエフ先生の、ダンサー達のリミッターの外しっぷりには心から感心いたします。

ちなみに、この場面を見る度になぜか上方落語の「らくだ」を思い出してしまう自分。(決して自分にとっては悪い意味ではありませんので誤解のなきように)
ありえないことですが、「らくだ」を一番、この世で完璧に演じることが出来るのはひょっとしたらバレエダンサーではないか、あああ、いっぺんでいいから観てみたい、バレエ「らくだ」。
そんなことをつい、想像してしまうのです。

と、そんな自分が、再度観て新たに思ったことがひとつ。
この95年版でものっけから、モンタギュー家とキャピレット家との派手な小競り合いの場面があるのですが、そこで自分が過去と違う視点になっていることに気がつきました。

そう今回、見事なまでの、この「アクションシーン」に非常に感心してしまったのです。
功夫映画、香港アクション映画好き(いや、この場合はドニー映画好きとすべきか)として今観ると結構なもんです。ワイヤーもCGもカット割りもマットレスもなしだぜ!

「バレエダンサーとは喧嘩するな」とは、かの空手バカ一代、大山倍達先生が残した言葉らしいですが、まさにその通りかも。

ちょっと稽古したら、この人たち簡単に関節技やルチャ・リブレなんか決めちゃうだろうな、と思わせる体幹の強さとジャンプ力とスピード!
そのうえ、脅威的なあの体力ですぜ。

実際、格闘シーンを踊ってるのを見ていて、ヘッドシザーズ・ホイップとか決める高さやタイミングなんか、ぜんっぜん余裕であったもん。
(そこで足取ってヒールホールド決めてしまえ!とバレエを観ながら心の中で叫んだのは内緒)

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