ある日、テレビで海外ドラマを見ていたら、「猫を飼うのは独身女性のしるし」みたいなセリフが。
それがいかにも皮肉たっぷりだったので、ちょいとムカついてしまいました。
18の歳から1人で暮らして、すでにン十年(といっても、そのうちの1年くらいは結婚してましたが)、実は家族よりも猫と一緒の生活のほうが長かったりします。
東京に出てきてから飼った猫は今の子で2匹目。
学生時代、拾ってきてから18歳で亡くなった1匹目のあと、私はペットロス状態で、とても次の猫を飼う心の準備など出来ませんでした。
が、当時結婚していた相手が「どうしても新しく猫が飼いたい」と言うので、なかば押される格好で猫を探すことになりました。
かといって、ペットショップで可愛い子猫を、という発想はもとから浮かばず、最終的にはネットで猫の里親探しをしているボランティアの方から譲って頂くことに。
結婚生活の方はあっという間に終わりを告げましたが(笑)、小梅と名付けたその2匹目の猫は、それから10年以上たった今も(少々おデブですが)元気に私と一緒にいます。
猫は気まぐれ、とよくいいます。
実際生活すると彼らのマイペースに、びっくりすることもしばしば。
帰宅して「どこに行ってたんだよぉぉぉ」とひどく甘えてくるかと思えば、自分が眠たければ、いくら名前を呼んでもまず挨拶にさえ出てこない。
それどころか、どこかに逃亡でもしたのかと心配になるくらい姿を隠したままでいたり。
もちろん飼い主が寂しい時、悲しい時には、抱っこされてグルグルのどを鳴らして慰めてくれたりもしますよ。
が、数分たつと「もう、いいかしら?」なんて真顔でひらりとどこかに行っちゃったりするんだな、これが。
その際の真顔のまぁ、憎たらしいこと(笑)。
犬を飼っている人たちのペット自慢を聞くたびに
「この人がうちの猫と暮らしたら、物足りなりないどころか裏切られたような気がして耐えられないかも」と想像したりします。
なんだかんだ言っても、猫好きにはそれ位の距離感が心地よいのです。
少なくとも私にとってはそうで、
反対に彼女の方が甘えたくても、原稿書きで忙しくパソコンに向かっているときなんかには、相手にしません。
それどころか、しつこく「ワタシにかまえ」コールをする猫に
「あんただって、私が遊びたいときにいつも付き合ってくれるわけじゃないよ」と言ってきかせます。
相殺。
ペットにこんな言葉を使うと友人はあきれた顔をしますが、自分と彼女には、この言葉がしっくりくる気がするのです。
そういえば、以前、母親と義姉が引っ越し祝いのプレゼントにと猫用の布団を特注してくれたことがあります。
しかも私の振袖を貸した従妹から回収して、それを豪華な布団にするという計画だったらしい。
親戚に理由を話したら
「あんないい振袖を猫の布団にするなんて信じられない!」
とあえなく阻止され、結局、やはり従妹のところに行ったきりになっていた私の七五三の際の着物を代品にしたとか。
(蒲団の写真はコチラ)
「子供のいない景子にとっては、あの猫が子供みたいなもんなんだから」
そう言って、渋る親戚から着物をゲットしたとドヤ顔で説明する母。
有難いやら「いや、別に子供みたいなもんじゃないし」とその誤解にも複雑な心境になってしまいました(笑)。