まず、この映画は実話をもとにしていると知ってからご覧になったほうがいいかと思います。とはいえ登場人物は少年以外架空のキャラクター。最後まで観て、監督2人がなぜこの事件をモチーフにこのようなファンタジーを編み出したのか、その思いに胸がかきむしられるような悲しみと、なぜか優しさも同時に胸に湧き上がってくる、不思議な感覚を抱きました。
舞台はイタリアのシチリア。この村は私の想像するシチリアからはるかに離れた静かすぎる沈黙の場所でした。
鍾乳洞のような地下水路が延々映し出される不穏な空気がスクリーンを支配するオープニング。
やがてその管を通って出た水を飲む少年。これが主人公のジュゼッペです。
そして彼のために書いた手紙を握り締めた少女が少年を追い森へと分け入ってゆく。
その少女ルナのすらりと伸びた脚が踏みしめる不安定なリズムが彼女の胸の鼓動とシンクロする見事な冒頭の描写。
13歳の少年と少女。
幼さの残る彼らの一途な想いと真っ直ぐな視線が、次の瞬間には引き裂かれてしまう衝撃の大きさに打ちのめされるのですが、映画はそこから彼らの愛情と魂の共鳴、唯一残された想像力が綾なす世界を幻想的に、時には現実に引き戻しながらも、まるで薄手のシフォンを折り重ねるように丁寧に積み上げてゆきました。
監督のファビオ・グラッサドニアとアントニオ・ピアッツァはともに、この事件の起きたシチリア、パレルモ出身。監督たちにとって事件は脳裏にこびりついて離れなかったと言います。過酷で無慈悲な現実がどれほどの苦痛をもたらしたか、2人がドキュメンタリーではなくあえてファンタジーという手法をとることには相当の覚悟がいったことと想像します。
劇中、忽然と姿を消した少年に対する大人たちの無関心や諦観は恐るべき事実。
そもそも、シチリアという土地は歴史的にもマフィアと密接な結びつきがあり、今なおマフィアに関することは誰もが固く口を閉ざし、でなければ生きて行けない暗黙の支配下にあるといいます。
そういえばゴッドファーザーで若きパチーノがシチリアで逃亡生活を送る場面がありました。どうしてシチリアだったのか、なぜ彼はそこでほとぼりを冷ますことができたのか考えれば合点がゆく。
映画は、世界中でたったひとり少年を片時も忘れず、平然と沈黙を守る大人たちに真っ直ぐな疑問を怒りをもって投げかける存在としてルナを創造しました。
「必ず彼を見つけ出す」狂気すら孕んだ彼女の想いと行動、ルナからの手紙だけを生きる希望として抱き続けたジュゼッペ。
2人の監督は、変えられない事実に抗い、同調する心と彼を決して諦めない少女を加えたことで冷酷な現実を突きつけられたジュゼッペにせめて映画の中だけでも彼を愛で満たしてあげたいと切に願ったのだと信じています。それを受けとった私は流れる涙を抑えることができませんでした。
『シシリアン・ゴースト・ストーリー』は壮大なレクイエムとして輝きを放ち、またひとつ映画の持つ可能性を示してくれたように思います。
12月22日、東京シネマカリテを皮切りに、全国順次公開。