座頭市地獄旅(1965年・日本)後編

ネタバレ。全26作中12作目ともなれば、それまでの作品で劇中かなり人を斬っている。アクション映画の特徴として、続編が重なる度にスケールが大きくなってゆくという不文律に囚われ易く、徐々に郡代や代官、関所破りだの巨悪を相手にしがちだったのだけれど、ここで勝新太郎と三隅研次監督は一旦原点に戻る決断をしたのかもしれません

その一端として、お馴染み「市さんのインチキ丁半博打」も登場。

映画の前半。乗り込んだ船では、市が1作目以来何度か披露したインチキを客に仕掛けます。頼んで壺を振らせてもらったものの、壺からサイコロがこぼれたことが盲目ゆえに分らない。客は黙ったまま全員その目に賭けるので、それを知らされない市は大敗。

次も同じように壺から外れたサイコロを見てどんどん賭け金が増えてゆく、が、今度は壺を開ける直前に「袂からこんなところに転がり出やがって」と壺の横にあるサイコロを袂に戻す。そして壺を開けるとその中には反対の目が出ていて市の総取りとなる仕組みです。

イカサマだと騒ぐ客。しかし「博打ってのは壺の中にあるサイコロで決まるもんでございましょ?それをあんたがたは壺の外にある目に賭けてなさったのかい?」と正論をいわれてぐうの音も出ない。そこへ逆切れした男たち(ちなみに、須賀不二男と藤岡琢也だったりする)に、にこやかな表情から一転、すごんだ声で「めくらだと思って見くびりやがって」とそいつらの手をひねる。何度観ても胸のすく一瞬。

船を降りた江の島では、さんざんな目にあわされたその2人が地元の江島屋の親分に加勢してもらい市を襲います。按摩を頼まれた部屋で押さえこまれた市がとっさに蹴りあげた煙草盆が火鉢に落ちて部屋中を灰が覆い、視界がきかない状況に。

そのなか、唯一不利にならない市が肉弾戦で暴れ回る。刀を抜かないまま藤岡琢也をドロップキックで2階から突き落としたのには変な声が出ました。1965年ですよ。いくら力道山で国民的人気を博したプロレスとはいえ、時代劇ヒーローがドロップキックを披露したのは座頭市が初めてではあるまいか?(先に誰かやってたならごめん)余談ですが、1989年版『座頭市』ではなんと関節技もやっていたりもする。恐るべし勝新太郎。

しかも藤岡が落ちた際に下にいた芸人の少女に怪我を負わせ、後の市の行動に大きく関わってくるのだから、脚本として良く出来ていると思います。

やがて、傷が原因で少女が破傷風に掛かっていることが分り、責任を感じた市は、5両もする南蛮渡りの霊薬を買う金を作るため賭場に向かい手っとり早く例のインチキ博打をするのだけど、開けた壺の中は外に出たサイコロの目と同じ丁(笑)。それを知った市の慌てぶりが可愛すぎ。

座頭市にはコメディシークエンスが結構ありますが、ここは船のインチキ博打と対になってるだけに大笑い。全部すっちまってガックリきた市に成田三樹夫扮する浪人が、自分のショバを明日一日貸すから元手を稼げと励まします。いい奴じゃん。翌日、客が投げた金を棒で受ける市の芸が大ウケ。この脚本には無駄な場面がほとんどない。すごい

お陰でそれを元手に賭博で稼いだ金で薬を買う。その薬がまた「透沈香」ときたもんだ。歌舞伎十八番にある 「外郎売」(拙者親方と申すは、お立ち会いの中に御存知のお方も御座りましょうが、御江戸を発って二十里上方・・・)の外郎でやんす。

やっと買った薬の箱を懐に沼地の帰路を急ぐ市を、しつこい2人組が助っ人を連れて襲います。前半でやられたモブがここまで出張るのもなかなかないので珍しい(というか、それまでだと最初の襲撃で斬られっちまうので登場しようもないんだけど)。

そこで座頭市は今作初めて人を斬る。葦の中、大人数に対するアクションは見通しの悪い場所で、1人ずつ相手にするとても丁寧な作り。リズム、橋桁に走り寄る間合いと、落とした薬箱をめぐる戦いがハラハラを盛り上げてめちゃめちゃカッコいい!この作品の白眉。

そして敵を片づけるや、懐に入れたはずの箱がまたない事に気がついて必死に探す市の姿はものすごい緊張感。私が26作すべてのシーンで一番胃をギュッと掴まれたような気分になったのが、このシークエンスでした。

やがて、見つからないと這いつくばって諦めムードの実はすぐそばにある透沈香の箱。観客はすべからく「いーちー!!よこー!」と胸中で叫んだでしょう。やっと箱を見つけた勝新の演技のいいこと、見応えたっぷり。ほんと、うまい。

翌朝。
薬を飲んで寝ている少女の側、壁に身体を預けて三味線をつま弾く座頭市から匂い立つ色香。しびれました。かっこいいいいいいいいい。「抱いてー!!いっつあん!」と声をあげたくなる、これまた26作中で一番お気に入りの勝新ショット。このショットがあるというだけで『座頭市地獄旅』は傑作だと断言しちゃってもいい。

そこへ「おじちゃん」と声をかける少女は、実は子役時代の藤山直美(当時は藤山直子)。お父さんの藤山寛美も『座頭市逆手斬り』(1965年)に偽座頭市に扮する役で出演しておりましたが、本筋というより賑やかしのような役回りだったのでちょいと勿体なかった。痛がって泣き叫ぶ声や小さく「ありがと」と呟く声の塩梅といい、座頭市に関しては娘直美に軍配は上がるかも。

彼女の礼を聞いて、泣きそうになって思わず部屋を出た市が柱にぶつかる動き(ある意味お約束)や、それを見ていたお種の表情は非常に印象に残りました。

そして湯治にと箱根に向かった市とお種、少女と(なぜか一緒にいる)浪人・十文字糺の4人。そこで最後のピースとなる山本学扮する侍・佐川友之進に出会います。仇討のため旅に出たこの友之進とお供の六平がいいお人でねぇ。何の邪心もないこういう人に会うと市は心から安心するんでしょうな。その湯治場へ友之進の妹・佐川粂も合流。1人旅だった粂は男装した若侍姿。うは、りりしいっす、大好物。さて、これでコマが出揃った。ここからどう収束してゆくのか。

そんななか兄妹の供である六平が土砂降りの毘沙門の境内で仇討成就のお百度参りの最中に絞殺される。証拠と思われる釣り具の浮きから犯人が浪人かと疑惑を抱いた市が部屋に戻ると彼はすかさず「どうした?」と声をかける。出来る男はちょっとの空気の違いも見逃さないのであります。

この時すでに浪人は市が彼を疑っていることを勘づき、また市は彼がそれに勘づいたことに気がついた。部屋を出た市と部屋に残った浪人。障子越しに互いの刀に手をかける2人。

この緊迫感がたまらない。

いよいよ戸浦六宏一味が市を襲う算段を付けはじめお種は急いで出立しようと持ちかける。実は彼女はかつて市に殺された男の女房でした。けれど旅するうちに市に惚れてしまっており、ここまで一味を手引きをしてきたと告白するのですが、彼はそれを一切責めもせず、共にゆくと言う浪人と再び4人で箱根の関所を目指して山道を歩く。

後ろからは座頭市をを狙う男ども。「どうだ久しぶりに一丁」と浪人は市の杖を引きながら将棋の対局を提案する。2人は歩きつつ頭の中で将棋を指し始めます。

そこへ、仇打ちのいで立ちをした兄妹を乗せた籠が4人を追い越してゆきました。供の者を殺したからには彼等が誰だかは知っているはず。籠から発せられる殺気に気がつかぬ浪人ではない。市が全てを見抜き、計ったことだと瞬時に悟ったことでしょう。それを互いにおくびにも出さぬ男2人の対局の声が次第に緊張感を増してゆく様にしびれます。

「六九の角、待ったは御法度だよ、六九の角、それで詰むかい?詰むかい?」
浪人・十文字が生き残るためには、市を斬り仇討を返り討ちにするしかない。
「どうやらご臨終らしいな・・・」
あとはその奇襲をどこで仕掛けるか。
「六四の歩、王手!」
思わずいつもの癖で鼻を触り、パチンと指を鳴らす十文字。これこそが兄妹の追う仇のしぐさ。

「勝った!」と言いながら、手のうちの証拠、浮きを見せる市。それを合図に斬り結ぶ2人。市に斬られた浪人は瀕死のところを兄妹によって討ち取られたのであります。

この脳内将棋から一連の息詰まる男の攻防には、得も言われぬ昂りがありました。

そして一見蛇足に思える戸浦六宏一味とのラストファイトですが、「先に仕掛けるな」と子分にいう戸浦六宏の声に市は杖を置いて座り込んでいます。その杖に足をかけたまま斬りかかった相手に、すかさず足元の鞘から仕込みを抜き全員を斬る。やっぱ先に仕掛けちゃいかんのですよ。それか踏むなら鞘じゃなく柄の方ね。

ここで見えてくるのは、仕掛けない相手にわざと隙を作って襲わせるという何度も見て来た座頭市の常套手段。もちろんラストは咄嗟の判断ですが、浪人・十文字に対してはわざわざ兄妹を籠で追い抜かさせて結果、じれた相手に仕掛けさせたと読むこともできます。人の良さそうな顔をして実は一筋縄ではいかない座頭市。好きです。ダークヒーローという謳い文句は好きじゃありませんが、こういった部分はそう呼ぶに相応しいトリックだったのかもしれません。

全てを終え無言でその場を去る座頭市。その姿に手をついて頭を下げる仇討兄妹。お種と少女は後を追うが、いつしかその姿は消え、目前に富士の山が広がるばかりでありました。

時代劇でよく見かける仇討。相手が逃げてしまった場合、ドラマみたいに運よく仕留められることはほんのわずかだったそうです。しかも仇討に出た側は相手を見つけて討ち取らなければ表向き死ぬまで帰ることも叶いませんでした。なので逃げた犯人を仇討に行くことは人生かなり崖っぷち状態。だからこそ現実では家督を継ぐ長男を出すことはほとんどなく、親戚や食いぶちに困った三男や四男坊などを行かせるケースがほとんどでした。

仇の顔を唯一見ていた供の者が殺された時、「我々は相手の顔も知らぬのだ。これで兄妹は帰る事も出来ずお家は断絶、放浪のままに朽ち果てるしかない」と(多分長男なのであろう)佐川友之進が打ちひしがれる姿は、正道からだけではない、先の人生への絶望からだったことが分ると、より一層哀れです。

とにかく、この『座頭市地獄旅』には、魅力的な剣豪と素晴らしい殺陣、そしてハラハラ感、スケールの大きすぎない物語と、繊細な演技に裏打ちされた男女の機微、そして市のキュートさにくだんの色気たっぷりなショットと、自分の一番好きな座頭市がたった87分にギュッと詰まっています。これを傑作と言わずして何が傑作でしょうか。しかもそれが、そろそろマンネリ化しそうな12作目で作られたというタイミングと製作者の底力に驚くばかりでございます。

追記:

あとから考えたのですが、この映画が好きな理由の一つに「ストーリー上、市の怒りを誘発するために、いい人がなぶられ酷い目にあったりしない」ということもあると気がつきました。

TVも含めこのシリーズでよくあるのが、いい人が理不尽な理由やそれこそ市と知り合ったがために酷い目に遭うまたは殺される、という流れ。そこに食傷気味になっていたということかもしれません。この作品でも友之新のお供六平(これもいい人!)が殺されているので「まったくない」とは言えないのですが、この位なら許容範囲(説得力なし)。

なお、シリーズ中殺されて一番気の毒だったのは『新・座頭市物語』の安彦の島吉(須賀不二男)です。弟の仇と市を狙っていた男ですが、剣術の師匠の妹に求婚されヤクザを捨てようと決意した市に「殴るなり蹴るなり好きにしてもいいが命だけは残してくれ」と頼まれます。2人の気持ちが本気とわかった島吉はサイコロで決めようと提案。

本当は島吉の勝ちだったのに、そっとサイコロに触れ「お前ぇの勝ちだ」と去っていく渡世人の鏡みたいな男。ほんと後光が差して見えるほどカッコよかった。なのに、その後、鬼畜な剣術師匠の手にかかってアッサリお陀仏。斬った師匠は26作でゲスい奴トップ3に入る、ほーんと嫌な奴だったわ!多分評判悪かったんでしょうね、TVシリーズのリメイクでは師匠にもやんごとなき理由が付け加えられておりました。

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